【第662回】 永遠なものにつながる

80才まであと数年健康で生きたいと思って暮らしている。合気道のお蔭で楽しく暮らさせてもらっている。もし、合気道と出会わなければ、恐らくつまらない暮らしをしていただろうと、合気道には感謝々々である。合気道と出会ったと書いたが、大げさではない。偶然といっていい出会いだったのである。
私が合気道に入門したのは、誰でも入門ができるようになってから2,3年後であり、それ以前は、二名の紹介者がないと入門できなかったという、世間から閉鎖された世界であった。また、雑誌やテレビで合気道を紹介されることもほとんどなかったようなので、合気道という文字が目に触れることもなかったのである。
合気道という武道があることを知ったのは、大学一年の時、友達のアパートに行った時だ。空手をやろうとして、過って空手をやっていたその友達から、もう使わないからという空手衣を貰うためだ。行ってみると、そこに集まっていた友達やその友人たちといろいろ話しているうちに、その近くの新宿体育館で、合気道というものを稽古しているというのである。合気道など初めて聞いたが、武道だということも分かり、稽古の予定日に合わせて、見学に行ったのである。それは早稲田大学の合気道同好会の練習場だった。稽古が終わってからキャプテンに合気道について聞いていると、この近所に合気道の本部道場があるというのである。どうせやるなら大本の本部道場が良いと思い、その足で本部道場に行った。
行ってみると、多田宏先生(後で分かる)の時間で、大変面白そうだったので、入門料500円と月初500円の大枚を払って入門した。その後、その多田先生の時間の稽古を玄関の窓越しに見ていると、先生が寄ってこられて、入門したのかと聞かれたので、今、入門手続きを済ませましたといった。するとこれから整理運動をするから、一緒にやろうとのお誘いがあった。これからやると言っても道着もなく、着ていた一張羅でやることになる。季節は真夏。何もしなくても汗が流れる。しかし、折角のお誘いだから、一緒に稽古をさせて頂いた。全員で単独での転換、入身転換などの転換運動をの後、受け身の稽古に入ったのである。ズボンもシャツも汗でべたべたとなった。
でも何かに導かれて合気道をやることになったこと、また、この後も合気道に関わっていくことになるような気がしたこと、そして自分の探しているものは合気道ではなかったかということに気がついて、帰り道、最高の気分だったのを覚えている。

年を取って、過去を振りかえてみると、上記のように何かに導かれていたのではないかと思えるようなことが幾度となく起こっているのである。前にも書いたが、私は三度、死んでもおかしくなかった状況に陥ったことがある。この経験から、人は生かされているのではないかと思うようになった。何かをやるために生かされたのであると思うのである。これを人は宿命といい、使命と云っていると思う。これを信じる人もいるだろうし、信じない人もいるはずである。つまり、信じる人と信じない人の両方がいることになる。自分は信じる。100%信じる事ができないという根拠が示されれば、信じなくなるかも知れないが、信じる根拠同様、信じられないという根拠も100%完全なモノはないのである。

さて、たかだか100年足らずの人生であるわけだが、多くの部分は使命とか宿命ということで、自分以外のモノに決められたり、左右されるが、何モノにも左右されない、己の意志と責任において出来る事もあるだろう。
また、使命や宿命を果たしていくためのやり方も、己の意志と責任において出来るだろう。

100才近くまで活躍されている方々の多くは、その仕事を天命、使命、宿命と思っておられるように思う。合気道で云う、地球天国、宇宙楽園完成のための生成化育をお手伝いすることであり、永遠なものにつながる仕事をしていると思う。
合気道には過去、現在、未来がない。現在は過去に繋がっているし、未来にも繋がっている。全て一つになっている。だから、今しか通用しない技をつかっても、過去とも未来とも繋がらないので、時と共に消滅することになる。
いまやっていることが、また、やろうとしていることが、永遠なモノに繋がるようにならなければならない。

更に、100才近くまで活躍されている方々に教えて貰う事は、永遠なものにつながるような仕事をされていると共に、遊び心があること、ユーモアをお持ちな事である。他人を笑うのではなく、自分を笑って楽しんでいるように見えることである。厳しさをユーモアで和らげているのである。例えば、大先生からもユーモアを感じたことがある。我々に技を示されていた時、受けの内弟子が大先生の袴の裾にひっかかって、袴にほころびをつくってしまった。すると大先生は、弟子を怒るのではなく、「うちのばあさんにまた叱られる」と茶目っ気たっぷりに云われたのである。

恐らく80才前は、このような境地になれないようなので、何とか80才に辿り着き、遊び心とユーモアをもって、永遠なモノに繋がるモノを探究していきたいと思っている。