【第662回】
いつでも、どこでも修業
合気道を始めてから50年以上になるが、上達はしているのだろうが遅々としている。別に焦っているわけではない。上達するには、実力(才能)と努力と運によると思っているし、確かにその三つの要素を掛け合わせた結果であると思うからである。
実力(才能)はそれほどないが、人並みにはあると思っている。運もいいとも思っている。そもそも3度死んでもおかしくない所を生きてきたのである。また、合気道を偶然知ったこと、そこで合気道の開祖にお会いでき、教えを受ける事ができたこと、そして有川先生の教えを受ける事が出来たことを思えば、幸運、強運といえるだろう。
残るは努力である。実力(才能)と運は自分ではどうしようもないが、努力は自分次第である。結論から云えば、上達が思うようにできないのは、この残っている「努力」が足りないということになるはずである。
勿論、道場での稽古は人並み以上にやってきたつもりである。過っては週7日間、毎日2,3時間、足腰が立たないまで稽古をした。80才に近くなった今は、そのような稽古を出来ないが、自分なりに稽古をしているつもりだった。
最近、自分のまだまだの稽古の甘さに気がついた。それはかって教えて頂いていた有川定輝の事を思い出したからである。今になってようやく、有川先生の教えがわかり、稽古の甘さが分かったのである。
有川先生には毎週水曜日の稽古時間で技を教えて頂いていたが、その他にも沢山の事を教えて頂いていたのである。そのお教えの例を書いてみる。その先生の教えは、教えるということではなく、普通の事実としてさりげなく話されたり、示されたものである。
- 「銀座通りを(4丁目から8丁目まで)、人を避けずに真っすぐ歩いてきた」と誇らしげに言われた。当時(40,50年前)は、先生のあの目で睨まれたら誰でも道を空けるだろうとから、それほどびっくりしなかったが、後述のような別の意味があったわけである。
- 真夏の稽古時間が終わった後、数人で車座になって談笑していたわれわれ稽古仲間に先生は「一週間風呂に入っていない」と言われた。普通なら垢が出たり、汗の臭いがくさくなるはずだが、それがなく、言われなければ一週間お風呂に入っていないことなど気がつかない。何かそのための努力や研究をされていたはずである。また、先生は普通の人が常識としてやっていることに対して、それが本当に必要でやらなければならないのかを実証されたのだと思う。
- 有川先生は、時間があれば本屋や古本屋に行かれていたようで、或る時私がある本屋に入った時も居られて、この本はいいぞということで、日本舞踊の本を推薦して下さった。合気道にどれだけ関係があるか分からなかったが買った。恐らく先生も買われたものと思う。確かに、後になって、この本で日本舞踊のことが少しわかり、合気道の稽古に応用でき、役立つことになるのである。
- 先生は古武道の書籍はほとんど買うか、目を通されておられたようで、武道や武術に関してはよくご存じのようだった。武術のビデオも見ておられ、その技も研究されておられたようだ。先生には、あの本を読んだかとか、あのビデを見たか等の問いをしばしば頂いたものである。
「大東流合気柔術 秘伝目録百十八カ条」ビデオ三巻が出てすぐのある時は、あれは見たか、どうだったと聞かれたので、よくわからないので適当に言ったら叱られた。あのようなビデオを出したら、本来なら破門になるほどの貴重なものであるといわれたのである。本来ならば、門外不出の貴重な秘儀であるというのである。私にとっては、猫に小判、豚に真珠であったわけである。そこで反省したことを覚えている。勿論、有川先生はこのビデオもご覧になり、研究されていたわけである。先生は、こと武道に関しては隙がなかったということである。
- 水曜日の稽古の後、よく食事をご一緒させて頂いた。その時、先生のカバンを預かり、持った。先生は、一度、カバンを持つのはいい稽古、勉強になるとおっしゃった。その時は、義務で持っていると思っていたので、その先生の言葉を理解できずにいたが、最近になってようやく、カバンを持つことによって、いろいろな稽古ができることがわかってきたのである。今もカバンを持って、いろいろな研究をしているが、本当に勉強になる。
- 雪の降っている日に道場に入る手前で、有川先生が道場から離れながら反対方向に帰られていたのだが、雪に六方を踏み、雪に八の字を描きながら行かれるのを目にしていた。歩行の研究をされていたのだろう。歩いていても研究をされていたわけである。
- 食事の時など先生は、たまに質問を投げかけてきた。例えば、道場に入る際、どちらの足から入り、どちらの足からでるか。袴は右左どちらから足を入れて履くか。合気道衣のズボンの前にある紐通しへの紐の通し方等々。しかし、有川先生は、質問はするのだが、決して答えを教えてくれなかった。自分で考え、研究しろという教えであったのである。お陰で、それらの質問の多くをまだ考えているのである。
- 手の爪を魔女の爪のように長く伸ばされた。その爪で稽古をされたわけだが、爪にひっかかるわけでもなく、受けの相手を傷つけることもなかった。この長い爪はその時一回しか見ておらず、あれが最初で最後の爪伸ばしであったと思う。今思えば、恐らく爪を伸ばして、ご自分の指などのつかい方を研究されたのだと思う。私などは今でも時々、爪を立てて技をつかい、相手に傷を負わせるので、その意味が分かる。
- 先生は「歯は磨かない。歯は磨いたことがない」と言われていた。先生の歯は別に黄色になっているとか、異臭がするわけではなく、常人の歯と変わりがなかった。先生は本来の人間の機能を信じ、また世間が慣習化した歯磨き粉と歯ブラシを使った歯磨きを受け入れる必要がないと判断されたのだと思う。何故なら、昔の人間は歯を磨かなかったし、それでも健康だったわけだし、それをご自身で実践されたわけである。先述のお風呂やこの事でも分かるように、先生は世間一般の慣習を無意識に受け入れておられたのではなく、常に意識し、判断され、そして実行されたり、排除されておられたと思う。
しかし、私はそれを聞いても相変わらず歯を磨いている。凡人である。
- 有川先生は、蚊を殺さなかった。蚊が止まったり、止まろうと近づいても殺さずに、振り払っていたのである。人には怖い先生は、生き物を粗末に扱わなかったのである。後で分かってくるのだが、合気道の稽古を続けていると、虫を殺したり、草花を痛める事が出来なくなってくるようだ。先生はすでにその境地に居られたわけである。
有川先生の教えを思い出すままに書いたが、ここで言いたいことは、これらの事から、先生はいつでもどこでも修業されていたということである。
才能がお有りの上に、努力をされておられたわけだから、あのようなレベルに達っせられたのである。
そこにいくと我々の修業は、週2、3回、毎回1,2時間の稽古である。四六時中といかないまでも、寝る時間を除く15,6時間、新しい発見をしたり、研究したり、反省したり、試したり等すれば、己の努力が倍増するわけだから、これまで以上の上達が期待できるのではないかと考えている。
修業は今である。今を生きなければならない。密度の濃い修業の今である。刻々と進んでいる今、今を大切にして修業していくことである。いつでも、どこでも修業することである。
Sasaki Aikido Institute © 2006-
▲