【第657回】  魄の稽古から魂の稽古へ

何とか魄の次元の稽古から抜け出さなければならないが、これまでと違う異次元の世界の稽古になるから容易ではない。しかし、合気道を創られた大先生が言われているのだから、何としても魄の稽古を脱しなければならない。

もう一度、魄の稽古とはどのような稽古なのかを考えてみると、簡単に言えば、自分の体力や腕力による稽古といえるだろう。
また、魄の稽古は、顕界幽界神界の中の顕界の稽古である。見える世界での稽古であり、力に頼る物質科学の次元での稽古ということになる。

それでは魂の稽古とはどのような稽古であるかを考えてみると、まず、生命力である「気」による稽古である。「気」には己自身のものと、己以外のもの、つまり自然や天地、宇宙の「気」がある。が、先ずは己の生命力をつかって技をつかう稽古をすることであると考える。己の中にある「気」を最大限に活用するのである。
そして次に、自然や天地、宇宙の「気」をつかわせて貰っての稽古ということになる。
(注:次回の第658回に具体的な稽古を書いてみることにする)

気の稽古に入るためには、息づかいの稽古をしなければならないだろう。息(呼吸)の稽古とは、法に則った息のつかい方をすることである。イクムスビや阿吽の呼吸である。息づかいが上手くできるようになると、「気」が出てくるだけでなく、「気」が息を微妙に変化させるようになるのである。
更に「呼吸の微妙な変化は、これによって得られ、業が自由自在にでる。この呼吸の変化は、宇宙に気結び、生結び、そして緒結びされる」と大先生は言われるのである。
気の妙用によって、息を微妙に変化させ、そしてこの呼吸の変化が己と天地・宇宙と結ぶと言われているのである。

天地・宇宙の生命力(気)を最大限、己の体中に取り入れ、そして放射することによって人間を超えた、宇宙の意志と力である真善美の摩訶不思議な力が出るという事である。

この稽古は顕界幽界神界のうち、幽界と神界の次元の稽古ということになる。幽界とは仏の世界であり、人の霊の世界であり、神界とは魂の世界であるから、幽界と神界で霊魂の世界ということになる。

一つの疑問は、強力な魄の力に目に見えない気や霊魂が打ち勝つことができるのかということである。現実の世界である顕界での稽古ではなかなか難しいことは確かである。だが、見えないモノが見えるモノに打ち勝つことはできるはずである。そのためには、まず、魄より魂が勝るということを信じる事である。例えば、大先生をはじめ、武道や武術の名人達人はみな、見えない次元での幽界・神界の次元に到達され、技をつかわれていたはずだからである。また、もっと間近なところでは、道場での相対稽古で、力で力んでも相手はなかなか倒れないものである。相手が倒れるかどうかを判断するのは、己の気持ち・心である。だから、相手の魄を攻めるよりも、相手の気持ち・心を導いた方がいいわけである。
次に、魂が十分に働けるように、その土台になる魄をしっかり鍛え上げる事である。魄の体がしっかりしていれば、魂が働きやすくなり、成長しやすくもなるはずだからである。