【第649回】  剣と一教

合気道の技の多くは剣から来ていると言われる。確かに剣を意識して体をつかい、技をつかわないと上手くいかない。例えば、手を刀としてつかい、小指側の尺骨を刃、親指側の橈骨を峰としてつかい、刃筋が相手に当たった箇所に直角に立たなければならない。また、手首から先の手刀を切っ先としてつかわなければならない等である。
合気道の先輩で、技の上手だった方は剣も上手だったものだ。そのような先輩が合気道の技を教えてくれるようになると、剣もやらなければ駄目だと、剣も教えてくれた。間違いなく、剣はある程度振り込まなければならないと思う。剣も振れずに、相手の剣を素手で取ることなど出来る筈はないだろう

合気道の技が剣の動きから来ているのを最もよく表わしているのが、「正面打ち一教」であろう。このもとは大東流柔術の「一本捕り」だと思うが、これは剣で切り降ろしてくる手を抑えて崩し、相手を制する術である。従って、「正面打ち一教」は、本来、真剣に対する技であるわけだから、一度その原点に立ち戻って技をつかうのがいいだろう。合気道が武道であるということを、再認識するためにもいい。

取りの相手に手刀で打ち込むのも、そう容易ではないはずである。本来は、剣で一刀両断するような手で打っていかなければならない。大先生が居られた頃の正面打ちでは、尺骨と尺骨がぶつかって腫れあがって痛かったものだ。
お互いに痛いものだから、思い切り打たないで、一寸触るような打ち方をしたりしたのを大先生に見つかると大目玉を頂いたものだ。
しかし、今は時代と共に、稽古のやり方も変わったので、手が腫れないような打ち方をするのも仕方がないのだろう。だが、原点を忘れずに、そして偶には、原点に帰っての鍛練稽古をするといいだろう。

取りを攻撃する際の手刀での打ち込みも大事だが、その手刀を受ける手刀も大事である。この受け手も剣をつかう動きと言えよう。例えば、

要は、剣がつかえなければ、正面打ち一教は難しいということになろう。
しかし、これらの剣の理合いは、まさしく合気道で求めている宇宙の法則である。只、剣の歴史は合気道よりも長いこともあるので、先輩筋の剣から学ぶことが多いのだと考える。

剣を振り込んで、それを合気道の技づかいに活用し、そして合気道の技を徒手で使えるようになってくると、遂にはその徒手の手に剣を持てば、剣が使えるようになるわけである。これが合気剣というものであると考える。