【第648回】 若者に憧れるような高齢者に

久しぶりにいいニュースが入ってきた。スーパーボランティアの尾畑春夫さんのご活躍である。三日間も行方不明になっていた2歳の藤本理稀よしき君を、一人で超短時間で探し当てたのである。その前日には300名体制での捜索隊が探したのに見つからなかったのを、三日目の朝7時に出発して30分で見つけてしまったのである。探せたのは運もあっただろうが、何よりも絶対に見つけてあげるという気持ちだったと思う。一人ぼっちで、寂しく孤独で待ちわびている理稀君を思い、理稀君のお母さんの必死な気持ちに答えてあげようと、最善を尽くしたからだと思う。大きな声で理稀君に迎えに来ていることを伝え、耳をすませて、腹も減り、体力も無くなっている理稀君からのかぼそい声を聞こうとしたのである。心を込めて叫び、精神を集中して耳をそばたてたのである。

理稀君をお母さんに、約束通り手渡すと、お風呂や食事(多分)の御礼も断って、自宅に戻ってしまったという。そして、また、ボランティア活動をしていた広島にもどったというのである。
清々しい話しであるし、頭が下がる。

恐らく、これまで高齢者を弱者と見たり、無視していた若者も、これで高齢者を少し見直したのではないかと思う。そして自分も、尾畑さんを見習って、人のためになるようなことをしたいと思うだろう。そしてまた、年を取ってもできることがあるということも分かっただろう。

年を取らなければできないこと、年を取った方ができることが沢山ある。尾畑さんの場合も、78才という年齢だから救出に成功したと思う。年を取られたことによって、あのような自由な行動と正しい判断、そして潔ぎよさ等ができたと考える。

尾畑さんのような高齢者が沢山出てくれば、若者の意識が変わるだろう。
若者の元気がないのは、高齢者にも責任があると思っているからである。
若者はどのように生きていいのか迷っているはずである。それは自分自身のことを思い返してみればいい。自分がいずれ成るだろう高齢者が、みすぼらしく、魅力がなければ、若者に年を取る意味を与えることはできないし、強いて言えば、若者から生きる希望を奪ってしまうことになるはずである。

合気道では、現役で90才間近かで活躍されておられる先生が居られる。多田宏師範である。90才で若者が足元にも及ばない技と体をつかい、若者羨望の的である。先生の素晴らしいのは、技や元気などの他に、常に自分と挑戦されていることである。間違いなく先生は、100才への挑戦をされておられると思うし、私はそれを楽しみにしている。出来れば先生の100才の演武が見られれば幸せである。

若者に何か励ましになるようなものを与えるのは容易ではない。与えようと思っても、大体は拒否されてしまうものだ。黙って一生懸命にやったことを見て、若者はそれを必要と思ったり、面白いと思えば、自ら取り入れていくものである。尾畑さんは、ただ黙ってやってしまったから、人に感動を与えたのである。そして若者にも影響を与えたはずである。

合気道でも、年を取って、若者に稽古と人生への励ましができればいいと思っている。そのためには自分との挑戦を続けるしかないようだ。