【第646回】 体の教え

合気道は技を練りながら精進していくが、技を練るためには体を上手くつかわなければならない。上手くつかうとは理に叶ったつかい方であり、理とは宇宙の法則ということになろう。

人の体は宇宙と同じであると、「人というものは、造化器官であることを知り、全大宇宙と己とは同じということをしらなくてはいけない」(合気真髄)と大先生は言われているわけだから、己の体もそうなるように「自己の体内に宇宙組織を、正しく造りあげていく」のである。それが大先生が言われる、「己の肉体そのものを宇宙万有の活動と調和させる鍛錬」なのであろう。これが理に叶った上手な体づかいであり、そして鍛錬ということになるわけである。

合気道での初心者の体のつかい方は、はじめの内は理に叶っていないつかい方であるが、稽古をしている内に、段々と少しずつ理に叶った体づかいになってくるものだ。しかし或る時点でそれが止まってしまう傾向にあるようだ。
その原因の一つに、体は己のものであり、己の自由になるものだと思っていることである。
初心者の頃は、気にしないし、解らないだろうが、体は自分の思うようには動いてくれないし、厳密に言って、己のものでもないのである。何故ならば、お迎えがくれば、体を持っていくことは出来ず、お返ししなければならないだろう。

体に思うように動いてもらうためには、体と仲良くなることである。体を大事に扱い、ご苦労に感謝し、体との対話をし、体の訴えに耳を傾けることである。
稽古でも、体を壊したり、痛めないように細心の注意を払い、その働きに感謝し、そして技を錬磨するに当たっては、体や体の部位と対話をし、また、そこからの訴え、例えば、そうやると痛いとか力が出せない等、に耳を傾け、その声を反映して技をつかうようにしていくのである。

体を思うようにつかい、体と仲良くするには、只、それを念じてもできるものではない。そう思う心と体を結び繋げるモノが必要になる。
それは息であり、気であろう。心で働いて欲しいと思う体や体の部位に、息で気を通し、心(気持ち)でそこを動かすのである。息によって体に気が満ち、そして体の声が聞こえるようになるのである。これはいい、これは駄目だと言ってくるのである。しかし、その声を無視したり、その声に気が付かないと、技は上手く掛からないだけでなく、体を痛めることになるわけである。

稽古を長年やっていくと、膝が痛くなったり、肩が痛くなったり、背中が痛くなったりすることが多いようだ。痛くなったのには原因があるわけだが、それは先述したような場合が多いはずである。
しかし、痛くなってしまったのだから、それは事実として受け取るしかない。そして、それを前向きに、創造的に捉え、そしてその痛い部位が痛くないようにつかって稽古をしていけばいい。

例えば、肩が痛い場合で、手が上がらなかったり、回せなかったり、力が入らない場合、肩は痛くならないようにつかってくれと訴えているわけであるから、痛みが出ないようにつかえばいい。痛い個所をつかわずに、他の箇所をつかうのである。それは、肩を動かさず、腰腹で胸鎖関節から手先までを一本の手としてつかい、また、手を手先から肩までをバラバラでなく一本としてつかうのである。
更に、剣を振る場合、力で振るのではなく、息(阿吽の呼吸)と気で振るといい。
これによって、肩の痛みがなくなっていくと同時に、この新たな体づかいにより、新たな力と技が出て来るのである。

肩が痛くなったということは辛いことであるが、幸いと捉えればいい、肩を痛めたということは、痛めるまで十分に稽古をしたという証なのである。そして、この肩の痛みは、次のステップに行けという体からのメッセージと考える事である。
勿論、他の体の部位の痛みも幸いと捉え、次のステップに繋げていけばいい。
痛みに感謝である。

肩を痛めずに上達できるに越したことはないが、よほどしっかりした指導者でもいなければ難しいと思う。いい指導者につけるかどうかは誰もわからない。運任せといえるだろう。
しかし、誰でも体という最高の指導者を持っている。体に教えてもらう事は出来るし、これが確実な教えであると考える。