【第645回】 気力と体力低下に対して

80才に近づいてくると、若い頃のような稽古はできなくなる。20代の頃などは、技を掛けるのも力一杯やったし、受けも一瞬も止まることなく取り、疲れなど気にもしなかった。それ故、1時間の稽古では満足できず、稽古時間と稽古時間の間の自由時間も先輩や同僚と技を掛け合い、受けを取り合っていた。そして大体は次の稽古時間にも出て、また思いっきり稽古をして、これで十分稽古をしたと満足したものだった。また、時には、尊敬する先輩が来られた時には、更にもう一時間と稽古をさせてもらたり、その稽古時間の終わった後の自主稽古でもいろいろ教えてもらっていた。
しかし、今思えば、十分に稽古をして満足したのは、体を限界に近い状態までつかい、そして疲労したことに満足していたといえる。所謂、足腰の立たなくなるまで稽古したことが満足した稽古であったわけである。

今は若い頃のような稽古はできない。気力と体力の低下である。
70才ぐらいまでは、自分の気力や体力の低下など感じなかったし、意識もしなかったが、80才に近づいてくると、意識するようになる。特に、今年(2018年)のような猛暑が続いた夏はそれを感じる。

気力と体力の低下は自然の理であるから、受け入れなくてはならないが、合気道の更なる修業のために、この低下する気力と体力を研究しなければならないだろう。
まず、気力と体力の関係である。
合気道的に解釈すれば、気力とはものの霊、つまり体の霊ということになる。合気道では魄ということになる。
これを大先生は、「ものの霊を魄といいますが、これは気力といいます。」(合気神髄 P.102)と言われているのである。
これに対して体力とはものの体であり、体の体と考える。従って、気力は見え難いが、体力は見える。

気力と体力の関係と特徴は、体の霊と体の体ということで、共に魄であり、有形であるといわれる。そして魄はモノであるから、刻々と老いていくことになる。

次に、気力と体力の低下を防げないまでも、その低下を減速するためにどうすればいいのかということである。
一般的に、気力を湧かせるためには脳への血液循環をよくして免疫力を高める事だといわれるから、合気道の形稽古をしていれば、脳の血液循環はよくなり、免疫力がつくから気力が湧いてくることになる。
気力が湧いて来れば、体力を湧かせることができるようになる。
合気道の稽古においては、血液が脳へ循環するように、心身を技と体を練ることに集中した稽古をしなければならないことになろう。

三つ目に、合気道の稽古において、気力と体力を進化させるために、どのような稽古をすればいいのかの例を紹介することにする。
猛暑での稽古を想定して欲しい。高齢者にとって猛暑での稽古で一番大事な事は、一時間の稽古をやりきることであろう。途中で息が上がって、稽古を中断することがないようにすることである。
そのために、春や秋のいい季節のよう、また、若い頃のように、力を込めたり、力んで技をつかったり、体をつかえば、必ず息が上がってしまうから、それを避けなければならない。
それではどのような稽古をするかというと、体力に頼らない技づかいである。
それは息によって、体をつかい、技をかけることである。慣れてくれば、又理想は、気によって体と技をつかうのである。気力の養成になり、気力が進化するわけである。体力に頼らないが、気力によって、結果的に体力も養成されるのである。

息や気で技をつかうと、早くも遅くも、強くも弱くも自由自在のできるし、動きに切れ目ができず、一つの技を修める事ができるのである。相対の稽古で受けを取っている相手は、己と一体化してくるこちらの気力と体力を感じ、投げられても納得するはずである。

高齢になることによって、魄である気力と体力の低下に対して、合気道の稽古では、何かできるはずなのである。
「合気道は無限の力を体得することです。魄の世界は有形であります。合気は魂の力です。これを修業しなければなりません。」と大先生は言われているのである。魄から魂の修業に入ることが、唯一の気力と体力の低下に対する稽古であるようだ。
90才近かった大先生を思い出してみればいい。