【第644回】 カリキュラムを組む

定年になり、会社を辞め、ビジネスの社会から離れて3,4年になるが、ようやく生活が落ち着き、充実した日々が送れるようになってきた。生活が落ち着くとは、やるべき事がわかり、それを毎日やることによって、心も充実を感じ、そして充実(生きているという実感をもつこと)した日々が送れるようになったということである。

定年になった直後は、これまで仕事につかっていた時間が全部帰ってきたわけだから、時間は一日24時間自由に使えることになったわけである。朝は昼まででも夜まででも寝ていてもいいし、徹夜をしようが、夜通し起きていようが自由になったわけである。
しかし、実際にはそれまでの生活パターンとそれほど違いはない生活をすることになる。

分かったことは、人は時間がどれだけあっても、自由に好きに過ごすことはできないということである。自由を制約するものがあるからである。
例えば、人間社会である。社会の中にある以上、働こうが、働かないようになっても制約がある。社会の掟とか社会の目である。
次に、人は食べなければならない。一日3食とか2食の食事をしなければならないからである。人が食べなくともいいなら、自由はもっともっと大きくなる。
更に、自然の制約である。一日は24時間で朝、昼、晩と時間が変わっていく。人はこの変化に沿って生きないと、気持ち良くないし、健康にも良くないものである。

従って、高齢者が一日24時間自由に使えるというのは、言うなれば、精神的な自由時間ということである。精神的に時間を自由に使えるという事である。これまでのように、時間が他者に管理されたり、影響を受けるのではなく、自分の意志によって管理できるということである。例えば、食事の時間など、朝食は出勤時間の30分前、昼食は会社の昼休みの12時から1時までとかであるが、これを好きにできるわけである。

人はこれまでの生活パターンをそれほど大きくは変えられないようである。
まず、寝て、起きて、食事をする、排泄するなどは、定年後も引き続き、一日24時間の中でやっていかなければならない。
ただこれだけでは動物とかわらないわけだから、人は満足できない。毎日が満足できるように、時間をつかわなければならない。自由の時間があるのだから。

高齢者になったら、己のカリキュラムをつくるのがいいと考える。その内容は、

  1. 人としてやらなければならないこと。例えば、何時までに起きて、何時までに床につく。朝食を必ず摂る。朝食後必ずトイレにいく等、また、買い物、炊事、洗濯、掃除等‥
  2. 自分が生きていること、生きていて素晴らしいと思えること。例えば、山歩き、公園探索、旅行(週単位、月単位、年単位、気ままに)、映画、観劇等‥
  3. 自分が成長して、変わっていくためのこと。例えば、禊ぎ、合気道の稽古、習い事、読書等‥
己のカリキュラムをつくって、それに従って生活し、必要があれば、その内容を修正したり、比重を変えたりすればいい。
しかし、このカリキュラムで大事な事は、このカリキュラムは自由であるということである。極端に言えば、別にやらなくとも構わないわけである。会社の仕事だったら、他人や会社に迷惑が掛かるかもしれないが、これは誰にも迷惑は掛からない。
やらなくてもいいことをやるのが自由ということであり、だから面白い。だから続くはずである。
巷には自由過ぎて、不自由に過ごしている高齢者が多く見受けられる。己のカリキュラムをつくって、本当の自由を満喫して欲しいと考えている。