【第643回】
顕界から幽界に入るために
合気道は魂の学びであると言われるように、俗世界である顕界で人が求めたり、関心を持ったりしているものを探究しているのではない。
例えば、魂の学びの魂を学んでいくのである。魂というものは、目に見えないものであり、顕界では見ることも、捉えることもできない。この見えない魂を学ぶためには、魂があるだろう幽界に入らなければならないと考える。異次元の世界に入るということである。目で見える世界から、目では見えない世界、耳で聞こえる世界から、耳では聞こえない世界に入るということである。
大先生は幽界どころか神界にも出入りされていたわけだから、神界も幽界もあるとしなければならないし、神界はまだ無理としても、幽界には、何とか入りたいと思っている。
幽界に入るために、まず、幽界の定義が必要だろうから、簡単な定義をする。
顕界は、モノの世界。目で見える世界。魄の世界。物質文明。
幽界は、心の世界。目に見えない世界。魂の世界。精神文明
等となるだろう。
次に、どのようにすれば幽界に入ることが出来るかということである。
我々合気道家は、幽界に入って修業をしなければならないわけだが、それが難しい。そこでどのようにすれば、幽界に入っていくことが出来るのかを研究してみたいと思う。
まずそのためには何といっても、相対での形稽古を集中してやることだと考える。身心を集中し、深く異次元の世界に入っていくのである。そして息(呼吸)と気で体と技をつかい、更に心で体と技をつかうようにしていくのである。これが幽界の稽古になっていくはずだと考えている。
しかし、幽界の稽古に入るのは、そう易しいことではないと思うから、稽古以外で幽界に入る練習をするのがいいと考える。次にそれを順不同であるが列挙してみる。
- 禊ぎ:
大先生も毎日続けておられた禊ぎをすることである。体と心を浄めていき、幽界に入れる身心をつくっていくのである。禊ぎの間は、世俗の問題や関心事は頭から離れ、時間を忘れ、己の体と心との対話があり、また、何かがああせい、こうせいと導いてくれ等、己が別な次元にいることを覚える。「幽界はミソギの場である」とも云われているから、禊ぎをすれば幽界に入れることにもなるわけである。
- 祈り:
一生懸命に天津祝詞や詔(みことのり)を唱えていると、声だけでなく体も響いて、空気を震わし、そのひびきで己の心も天にも届き、別次元の幽界に入るように覚える。
- 儀式:
以前も書いたが、道場の合気の稽古は、俗世界を離れた幽界でやらなければならない。従って、道場に入るまで、俗世界のしがらみを断ち切るために、儀式が必要になる。本部道場の場合は、入り口を入ったところに大先生のお顔の像があり、二階と三階の踊り場には二代目吉祥丸道士のレリーフがあるので、その前で頭を下げ、ご挨拶に加えて、そこで世俗のしがらみを捨てる儀式をすることにしている。勿論、道場に入る時もお辞儀をして儀式をする。この儀式をしなければ、会社や家庭のしがらみを道場に持ち込むことになり、幽界に入る稽古をするのは難しいはずである。
- 童話、昔話、神話、童謡:
最近、童話、昔話、神話を読み直し、童謡のCDを聞いているが、のんびりした、あくせくする顕界から離れた気分になる。世俗の顕界では、何の役にも立ちようがないし、現実にあるとも思われないことが、自然に身にしみ、生きている有難さ、素晴らしさを教えてくれているようだ。目に見えるモノよりも見えないモノ、物質よりも心を優先し、心を大事にしている世界と言えよう。これも幽界ということになり、童話、昔話、神話、童謡は心で遊び、幽界で遊ぶことになるだろう。
- 自然に接する:
海を見たり、山や森に入り、見えないモノを心で観る。そして心で対話する。自然と接している間は幽界にあることにもなるだろう。
- 花、草木、鳥、蝶との対話:
アスファルト道路の割れ目からちょっと顔を出している草花の、何と頑張っていることか。鳥、蝶も子孫を残すべく、一生懸命に鳴いたり飛んでいる。花、草木、鳥、蝶のすべてが地上楽園完成のために頑張っている。我々人間の同士である。同士であるから、対話ができる。共通の心で対話ができる。そして愛が生まれる。これも幽界に遊ぶことになるだろう。
- 幼児を見たり、接する:
彼らは純粋である。純粋と云うのは、損得を考えたり、勝ち負けを意識して行動しないことである。これを自然とも云う。見ていても気持ちがいいし、面白い。しかし、見るのも目で見ては面白くないだろう。心の眼で見ると、彼らの本心が見える。たとえ、泣いたり、わめいたり、走り回っていても。彼らは、大人の物質文明ではなく、精神文明、幽界に生きているのである。彼らと心で接し、心で見れば、一緒に幽界に入れるはずである。
- お能を観る:
お能は幽玄の美と言われるように、幽界に遊ぶ舞台芸術である。現実の世界、顕界を離れた、目で見えないモノを心で観る世界である。時間も空間も非現実的なもので顕界とは結びつかないが、時間と空間を共有できる心によって、今の己と昔々がつながる幽界がつくられるわけである。
これらのことから、幽界を体験し、幽界とはどんな世界なのかを実感して、これを合気道の「顕界から幽界に入るために」の修業に取り入れていけばいいのではないかと考える。
Sasaki Aikido Institute © 2006-
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