【第642回】  引力の錬磨

大先生は、「宇宙と結ばれる武を武産の武という」(神P86)と言われており、そして、「武産(たけむす)とは引力の練磨であります」と言われている。
ということは、合気道を修業するにつれて引力が強くなるという事である。
確かに、合気道を長年修業してくると、相対稽古の相手をくっつけてしまうことができるようになってくる。指一本でも、相手がくっついてしまい、指一本でも自由に導くことができるようになる。
これを結ぶともいうが、引力の働きと言ってもいいだろう。

引力とは、物体同士が引き合う力である。お互いに引き合うと同時に、お互いに作用し合っている力である。典型的なものに潮の満干がある。月と太陽が地球に及ぼす力である。
引き合う力の引力が働くためには、出る力と引く力がなければならない。
出すだけの一方的な力や引くだけの一方的な力では引力が働かないし、引力で結ぶことができない。合気道が求めている力は呼吸力という力であるが、この呼吸力こそ、出る力と引く力を兼ね備えた、引力の働く力ということになるだろう。だから、呼吸法は引力の鍛練ということになり、合気道(武産)の重要な鍛錬稽古になるわけである。

合気道で技を掛ける際、まず相手が攻撃してくる。手刀で打ってきたり、手で掴んでくる。そしてその攻撃の力が、技をつかう側に働くことになる。
そこで、相手が攻撃してくる力を、その攻撃を捌く側も同じように力を出せば、五分と五分でぶつかることになり、結び合うどころか弾き合うことになる。だが、ぶつかったところに引力は働いている。
木剣や竹刀の打ち合いの稽古は、この引力の鍛練ともいえよう。引力の強い方が、弱い方を吸収し、導くことになるから、少しでも引力を強くしようとするわけである。上手な人の剣は、相手の打ってくる剣にくっついてくるものである。

この引力の鍛練もある程度必要だが、この段階の引力の錬磨に留まっていてはならない。上記の段階では、お互いが同次元の魄(腕力、体力)の引力の鍛練であるが、次に、異次元の引力の鍛練をしなければならない。

相手に自由に思い通り打たせたり、掴ませて、それを引力によって受け、捌くのである。相手の仕事の邪魔をせずに、相手に自由に攻撃させるのである。そのためには、相手と結んでいなければならない。例えば、相手に手首を掴ませた呼吸法では、引力(呼吸力)によって相手の手を、こちらの手にくっつけてしまい、相手の力を抜き、相手を自由に導くのである。
これは相手と接することによって、引力で相手と一体化し、相手を制するものである。

更に、相手と直接接しない引力である。相手と接する以前に相手と引力で結び、一体化するのである。即ち、気結びである。太刀さばきで考えればわかりやすいだろう。気で相手を包み込み結んでしまうのである。この相手と結んでしまい、そして相手の力を捌き、相手を導く力が引力によるということになろう。
大先生は、「真の武とは、相手の全貌を吸収してしまう引力の練磨である」と言われている。相手と結ぶということは、相手と己が一体化することであり、相手を己に吸収することになる。

引力は更に進化しなければならない。相手が攻撃する以前、相手とまだ向かい合わない前に、相手を吸収し、その心を自由にするところの「精神の引力」が働くようにしなければならないのである。これを大先生は、「合気道は相手が向かわない前に、こちらでその心を自己の自由にする、自己の中に吸集してしまう。つまり精神の引力の働きが進むのです」と言われているのである。
これができるようになれば、道場外でも「精神の引力の働き」によって、世の中の争いや問題を解決するお手伝いが出来るようになるだろう。

合気道は引力の鍛練であるということは、一つは魄の剛の引力の鍛練から、精神の引力の鍛練まで、色々な次元の鍛練稽古を、段階をおってやっていかなければならないということと、引力の鍛練は修業の最後まで継続しなければならないということ、そして引力の強さが合気道の上達の尺度になるということだと考える。