【第641回】  魂が魄の上になり、魄を導く

「合気道は魂の学びであります」と言われる。それ故、稽古の世界では、「魄の世界を魂の世界にふりかえるのである。魄が下になり、魂が上、表になる」「魂によって魄を動かす」ように技をつかい、技と身心を鍛錬しなければならないというのである。(注;「 」は大先生の言葉)

何とか、この魂の学びの次元に入って稽古をしたいと願ってはいるが、中々容易ではない。
そこで、上記の論法から考えて、己の合気道が、魂の学びの真の合気道になるためには、魂が魄の上になり、魄を導く稽古にならなければならないことになるし、魂が魄の上になり、魄を導くことができるようになれば、魂の学びの次元に入ったことになると考える。まずは、魂が魄の上になり、魄を導く稽古にならなければならないわけである。

最近、魂が魄の上になり、魄を導くという感覚が掴めたようなので、それを書いてみる。
その感覚は、片手取り呼吸法でのことである。

  1. 息を一寸吐いて気を出し相手に腹と結んだ手首を掴ませる。
  2. そして息を大きく引いて更に手先から気を出すと、腹と手先がしっかり繋がり、手先に体中から腹に集まった力(魄)が集中する。相手はこちらの手首を掴んでいるつもりでも、実際は、こちらの体の力に押さえられているのである。手先で相手を抑えているのだが、実際はこちらの全身の力と息(気)で抑えているのである。だから、手を持たせたまま、相手を地に落すことも、横に振ることも自由にできるような相当の力なのである。
  3. ここから、持たせている手で相手を倒すのではなく、腹と結んだ手を土台として動かさず、腹からの息(気)で相手を導くのである。ここから、慣れて来れば、気持ち、心で相手の身体も導くことができるようになるものである。心によって自由自在に相手を導くことができるのである。
魂が魄の上になり、魄を導くようになるためには、やるべきことをやり、身につけるべき事を身につけていかなければならない。
まず、魂の下になる魄を鍛えなければならない。合気道には力が要らないなどという、迷信に惑わされず、体力、腕力をつけていくことである。体力、腕力などの魄は、魂の土台になるものだからである。魂の土台がしっかりしていなければ、魂の居場所もないし、導くこともできないわけである。大先生も、「合気は魄を排するのではなく土台として(大事)」と言われているのである。
力の魄の問題は、力が強いとどうしても力に頼る技づかいをしてしまうことであり、魄の稽古から抜け出すのが難しいことである。魄の稽古から脱しなければならないが、力はつけなければならない。力も修業の最後まで鍛え続けなければならないと考えている。

次に、陰陽十字も身につけなければならない。陰陽十字で体をつかわなければ、力が出る体、魂の土台になる魄の体はできない。体は宇宙の営みに則った動きができるようにならなければならないはずである。それができなければ、宇宙との一体化もできない。
宇宙との一体化が出来るためには、やはり、魂が魄の上になり、魄を導くよう、体が働くようにしなければならないだろう。心が体の上になり、体を導くのである。

更に、息づかいも大事である。体と心、つまり魄と魂を結ぶはじめのモノは息である。イクムスビ、阿吽の呼吸である。息の次は「気」ということになるが、先ずは息で体と心、魄と魂を結ぶといいだろう。息が使えるようになれば、息で体と技を使うことができるようになる。それが「気」にかわって、魄の体を導くことができるようになるのだろう。

片手取り呼吸法を基にして、諸手取呼吸法、坐技呼吸法はもちろん、一教、入身投げなどの技でも、魂が魄の上になり、魄を導く稽古をしていきたいと思っている。