【第636回】  阿吽の気の呼吸

前回の第635回「勝速日」では、勝速日を生み出すのは阿吽の呼吸であるとも書いた。
また、これまで「阿吽の呼吸」に関しては何度か書いて、挑戦してきているが、今回は、前回の『勝速日』に則り、阿吽の呼吸を更に研究してみたいと思う。

まず、『合気神髄』の95ページにある箇所の文を引用する。この文の題は『武の兆しは阿吽の気の禊ぎによる』である。
「阿吽の気の呼吸は大乗、小乗を左右に見きわめ、その気をもって自在なる武の真髄を生み出し、最高の美の変化を示す。大乗、小乗の両道に共通する阿吽の呼吸が、左、右、左と巡環に払って禊ぎすれば、四方八方に武産が生き生きとして、武の兆しが出る。阿吽の呼吸の気の禊によって生じた武の兆しは、世の泥沼から蓮の浄い花咲く不思議なる巡り合わせのように、不思議なる魂の花が開き、各自の使命の実を結ばせ、心で身を自由自在に結ぶ。すなわち魂魄の結合の武の本義を現わす。」

この教えを踏まえて、正面打ち入身投げや太刀さばきをすると、この教えの意味が解ってくるようだ。
まず、「阿吽の気の呼吸は大乗、小乗を左右に見きわめ、その気をもって自在なる武の真髄を生み出し、最高の美の変化を示す」である。
阿吽の呼吸は気の呼吸であり、相手を自由にさせ、救済する愛の武(大乗)と自分のための(攻める、守る)武(小乗)を兼ね備えた呼吸である。だから、阿吽の呼吸は、只の息を吸ったり、吐いたりする息づかいではない。
そして阿吽の気の呼吸から生じる気によって、武の真髄を自在に生み出すのである。しかも、この自在に生み出す武は、初めから最後まで、美(無駄がない、欠けたモノがない、自然)から美へと変化しなければならない。

次の「大乗、小乗の両道に共通する阿吽の呼吸が、左、右、左と巡環に払って禊ぎすれば、四方八方に武産が生き生きとして、武の兆しが出る」は、前項とほぼ同じと思うので、省略する。

その次の「阿吽の呼吸の気の禊によって生じた武の兆しは、世の泥沼から蓮の浄い花咲く不思議なる巡り合わせのように、不思議なる魂の花が開き、各自の使命の実を結ばせ、心で身を自由自在に結ぶ。すなわち魂魄の結合の武の本義を現わす」である。
ここで重要なのは、阿吽の呼吸の気は、不思議なる魂の花を咲かせ、各自の使命の実を結ばせる(例えば、相手を殲滅する)、そして心で身を自由自在に結ぶということである。
阿吽の呼吸によって、魂の花が咲くのである。これまで探し求めていた魂の世界に入るわけである。実際に、正面打ち入身投げ、突き、太刀さばきなどをこの阿吽の呼吸でやると、技を掛ける側だけでなく、受けを取る側も、時間も空間もない勝速日の状態になり、これが恰も、突然咲く蓮の花のように思えるものである。
また、心で身を自由自在に結ぶことによって、魂魄が表裏一体に結合するとともに、心(魂)が身(魄)を自由自在に導き(結び)、武道の本義が現れるのである。

阿吽の呼吸は、気の呼吸であること、武を生じること、魂の花を咲かせること、そして、心(魂)で身(魄)を自由自在に結ぶ、ということであるようだ。

阿吽の気の呼吸によって、魂の世界、異次元の世界の風穴を空ける事ができるのではないかと思っている。