【第634回】 これまでの謎や疑問が氷解してくる

若い頃は、年は取りたくないし、若くいたいと思っていたものであるが、70才を過ぎてくると、年を取るメリットや楽しみが分かってくる。実際、今は早く80才になりたいと思っている。それは80才になれば、一人前になれて、これまで分からなかった事や疑問に思っていたことが分かるような気がするからである。

例えば、その内のひとつに、合気道の稽古をしている稽古人達に対して発っせられた、「お前たちのやっていることは合気道ではない」という大先生の言葉である。
私は古い道場で毎日稽古をしていたが、時々、突然大先生が道場にお見えになり、技を示されたり、お話をされた。大先生が道場の前に顔を出されると、すかさず手を叩いて大先生がお見えになったことを師範と稽古人達に知らせ、稽古を中断させた。しかし、或る日の稽古で、大先生がお見えになったのを、誰も気がつかず、大先生は2,3歩道場に入られてしまっており、不満顔で、「お前たちのやっていることは合気道じゃない!」と怒鳴られたのである。
われわれは教わった合気道を稽古しているのに、それは「合気道ではない」といわれたので、どういう意味なのか解らなかったが、大先生からはいつも解らないことを聞いているので、あまり気にもしないでいたのを、最近、思い出したのである。

もうお一人は、有川定輝先生である。先生は、『七大学学生合気道連合会 有川定輝先生追悼記念誌』の中で教え子の学生たちに対して、「あんた方がやっているのは合気道の技じゃあないよ、合気道に似ているというものだ」といわれたというのである。

大先生が言われた「お前たちのやっていることは合気道じゃない!」と有川先生の「あんた方がやっているのは合気道の技じゃあないよ、合気道に似ているというものだ」は、同じことを言われていると思う。
大先生と有川先生が、我々未熟者に教えようとされていたのは、今、お前たちが稽古しているのは究極の合気道ではなく、究極の合気道のための準備段階の合気道であるということ。だから、今の合気道に満足していないで、先に進まなければならないということでないかと思う。
もう一つある。それは、お前たちは大先生がやられている合気道、大先生が言われている合気道をやっていない。つまり、陰陽、十字などの宇宙の法則に則った合気道ではないではないか、ということである。

年を取ってきたので、自分のこれまでのことが分かるし、後輩達の合気道も見えるようになる。合気道の技をやっているつもりでも、合気道ではなく、合気道もどきになっているのである。
そうかといって、合気道もどきの稽古も必要であり、無駄ではなく、次の合気道の技に進むための土台であることも分かってくる。

今思えば、有川先生は、本部の我々稽古人の技をそのようにご覧になっておられたと思いあたる。しかし、合気道の技がつかうような稽古人を育てようともされていたこともわかる。
先生の我々に対する愛情を、今更ながら感じられるのである。

これで一つの謎が氷解した。年を取ってわかってきたのである。
高齢者万歳