【第627回】 自分を信じていく

年を重ねて来て80才に近づいてくると、自分が若い頃とは、大分変ってきていることに驚く。それまでは自分の考えや判断に自信が持てなかったが、段々と自分の見方や考えが持てるようになり、物事の判断にも、完全ではないにしろ、自信が持てるようになってきた。勿論、まだ完全な自信ではない。
希望としては、80才で真から自分の判断、云う事、やる事に自信を持ちたいと思っている。それまであと2年ある。

自分という人間を周りは、一個の塊の個体として見たり、接している。だから、人の考えや云う事、判断などは、その個体としての人間から発せられたと思っている。
しかし、その自分と云う人間には、心と体があり、それが言葉や考えを発したり、判断させているのである。そこには80年近くにわたる人生経験の積み重ねがある。

自信を持つとは、自分が信じられることだと思う。自分を信じるとは、自分の心と肉体の声を信じ、その声に耳を傾け、その声を実行できることであろう。
この自信の根底には、若い頃からのテーマであった、自分は何処から来て、何事をなすべきなのかに対して、自分なりの答えを見つけたことがあるだろう。自分の天命、使命を知ったことである。後はお迎えがくるまで、天が味方してくれる使命を果たすだけである。天が支援してくれるのである。自分のやることに自信が持てるわけである。

合気道の場合、技の錬磨で、心と肉体が、これまでやって来たことを土台に、これは駄目とか、これはいいとか、また、こうした方がいいと言ってくるわけだから、その声に従って稽古をできることが、自分を信じることになり、その結果、自信を持つことになると考える。
その声には、長年の稽古で培ってきた己の声だけでなく、先人たちの声もあるし、更に稽古を深めていくことによって、宇宙の声、神の声も聴くようになるはずである。
自分を信じるために、これ以上の味方はいない。周りの者が何と言おうと、思おうと、屁の河童である。

しかし、心と肉体の声を聞くために、そして更なる声を聞いていくためには、次のようなモノが必要であると思う。

要は、合気道の目標である宇宙との一体化ができれば、真の自信となるということである。宇宙の営みに従い、宇宙と仲良くなり、我をなくし、宇宙楽園建設のために自分の使命を果たしていけば、自分を信じることになるし、生きている自信になると思う。