【第626回】  受けの重要性を再認識

合気道に入門して、まず覚えようとするのは受け身であろう。はじめはどう動いていいかわからず、まごまごしたり、また、先輩たちがいとも簡単に受けを取っているのを見て、何故できるのか、不思議と羨望の眼差しで見ていたものである。
そして1,2年で受けが取れてくるようになると、それに並行して基本の技の形がつかえるようになってくる。同じレベルの相手同士なら、投げ合い、受けを取り合うことが出来るようになってくる。そして、これで自分は合気道ができたものと思い込むようになる。
しかし、これは合気道の稽古のほんの始まりにすぎないのである。ここから受けについても更に学んでいかなければならないのである。

合気道の相対稽古では、受けを取る「受け」と技を掛ける「取り」(捕り)があるが、どうしても技を掛ける取りの方を重視し、受けを疎かにしてしまうものだ。そこで今回は、「受け」を見直してみたいと思う。

「受け」は、受けの相手に技を掛けて倒したり、抑え込んだりする「取り」の受けを取る役目である。初めは、取りの相手に、二教裏などで相手の力や技に負けないように、やられないように頑張ったり、耐えたりする稽古になるだろう。また、四方投げなどの受けで頭を打たないようにすることだろう。
これが前述の、始まりの稽古の受けに次ぐ二つ目の受けの稽古ということになろう。

三つ目の受けの稽古としては、どんな相手の受けも取れるようになることであろう。相手の動きに合わせて取っていくのである。演武会などの受けである。

この辺までは、誰でもやっている受けの稽古である。が、受けの稽古には更なる稽古がある。
まず、受けで呼吸を身につける稽古である。イクムスビにしても、阿吽の呼吸にしても、技を掛けながら、それらの呼吸を身につけるのは容易ではないので、受けで身につけるのである。
受けを取りながら、それらの呼吸が身に着いてくると、良い受けをするためには、受けと取りがイクムスビでも阿吽でも、同じように吐き、吸う呼吸をしていることが分かるはずである。

更に、受けは、息を吐いて頑張るのではなく、息を引いて(吸って)気と力を出し、必要ならば、息を引きながら頑張ればいい。かって大先生は坐技呼吸法で、我々が押し合い圧し合い頑張り合っているのをご覧になっていて、頑張るなら、相手の両手を自分の脇の下までもってきて頑張るように教えられた。つまり頑張るなら、息を吐いて頑張るのではなく、息を引いて頑張れということである。
息を引いて頑張ることによって、相手は力がつくし、受け側は気が出てくるし、体は柔軟、強固になる。

これらの事から、受けの稽古での最大の効果は、息を引きながら受けを取ることによって、息のつかい方が身に着き、柔軟で強固な筋肉と肉体が出来ていくことだと思う。

尚、道場稽古では、取りと受けは半々であるから、受けを軽視すれば、半分の稽古時間をロスすることになる。

しかしながら、受けにはもうひとつやらなければならないことがある。もう一つの受けの稽古である。
受けの役割は攻撃であることを忘れてはいけな。受けを取る以外に、取りの相手に打ったり、掴んだりして攻撃を加える役割があるのである。しっかりと手刀で打ったり、相手の腕をしっかりと掴まないと、攻撃されて技を掛ける相手は本来の稽古ができず、いい稽古にならない。例えば、正面打ち一教や入身投げの打ちはしっかり打たなければならない。また、呼吸法、特に、諸手取呼吸法は力一杯に持たないと、取りの稽古にならないだけでなく、自分の握力の稽古にもならない。勿論、相手によって手加減する必要はある。

また、受けの攻撃は最初だけではない。取りが投げたり、抑えるまでの間に隙があれば、受けは攻撃するのである。しかし、通常の相対稽古で隙のある度に攻撃していたのでは稽古にならないから、隙を感じ、気持ちで攻撃を加えればいいし、この気での攻撃はやらなければならないと思う。何故ならば、本来は命を懸けた武道だからである。

しかし、しっかりと打つ手や掴む手をつくるのは容易ではない。そこで、しっかりした正面打ちや横面打ちの手をつくるには剣の素振りが必要になる。剣でしっかり打てない手で打っても打てるわけがないだろう。
剣を振ることによってしっかりした手が出来るし、そのための息のつかい方と体のつかい方が分かってくる筈である。剣が振れるようになれば、それに準じて手もしっかりし、使えるようになるはずである。

受けの重要性をもう一度見直して、更なる稽古に励みたいものである。