【第622回】  阿吽の呼吸

「合気道の体をつくる」の「第621回 腰腹から腹へ」で、技をつかうにあたって腹は大事であり、腹を締め、そして緩まないように力をつかわなければならないと書いた。
しかし、腹を締めたまま、緩まないように体を使うのはそう容易な事ではない。二教の裏などその典型であるが、どうしても腹の力が抜けてしまうのである。

腹を締めたり、緩めるのは息づかいの呼吸である。腹に力を込めて、そこから息を引いたり、出すのは難しいはずである。腹は息や力ですでにつまっているので、更にそこに息を入れたり出したりすることはできないからである。

別の息づかいが必要になるわけである。それが阿吽の呼吸と考える。
腹に力を入れたら腹が張る。下腹に力を入れたまま、腰側を横に拡げて、そして腹中と胸中に息を満たしていくのである。息は腹から上と下へ上下する。
この阿吽の阿は引く息で槍であり、体のひびきである。開祖が言われている、「阿吽の呼吸の気の禊によって生じた武の兆しは、世の泥沼から蓮の浄い花咲く不思議なる巡り合わせのように、不思議なる魂の花が開き、各自の使命の実を結ばせ、心で身を自由自在に結ぶ」(合気神髄P.95)にある阿吽の呼吸であろう。魄の力が下になり、魂の花が咲き、身も心も自由となって結ぶのである。

また、「五体の響きの槍の穂を阿吽の力をもって宇宙に発挑したものである。」
武産の武の結びの第一歩はひびきである。五体のひびきの槍を阿吽の力によって、宇宙に拡げるのである。」と開祖が言われているように、五体のひびきが槍の穂となり、宇宙に発挑するように覚えるのである。逆にいえば、宇宙の発挑するも、宇宙と一体化して結ぶのも、それを可能にするのは阿吽の呼吸しかないように思う。

しかし、技づかいや体づかいに阿吽の呼吸を取り入れていくのは意外と難しいものである。意識して稽古をして取り入れていかなければならない。阿吽の呼吸こそが、魂魄調和のとれた呼吸と言われるわけだから、何としても身につけなければならない。