【第618回】 合気道的手のつくり方とつかい方

これまで「合気道の体をつくる」で、手のつくり方、鍛錬の仕方などを沢山書いてきた。しかし、最近分かったことは、これはまだ基本の手のつくり方であって、真の合気の技をつかうためには、更なる鍛錬の必要性があるということである。力に頼った稽古ではそれでいいのだが、力に頼らない技をつかうなら、それまでの手では上手くできないことが分かったからである。

合気道の技は主に手で掛けるので、手の働きは大事であるし、よく働くための手をつくり、手が働けるように手をつかっていかなければならないわけである。
手は、諸手取呼吸法でしっかり抑えられても、相手を制し、導くことのできるような強靭な手であるだけではなく、相手の手と体をくっつけてしまう引力を有し、相手の力と闘争心をなくしてしまうものでなければならないと考える。

手も理でつくり上げていかなければならない。開祖は、「肉体は理によってつくりあげるもの」(合気神髄 P.21)といわれているのである。だから、ただ稽古をやれば手も肉体も出来上がっていくわけではないのである。

これまで手のつくり方やつかい方は何度も書いてきているが、特に、その内重要と思われることを書く。重要とは、これをやらなければ手を上手くつかうことができず、技も上手く吸えないということである。

まず、大事な基本的なことはいつも言っているように、手先と腰腹を結ぶことであり、手先と腰腹が常に繋がっていることである。この結びと繋がりが切れた時、体と技がバラバラになり、体の動きも技も崩れるのである。
これはMUSTであるが、身につけるのは容易ではないようだ。出来てしまえば出来ない原因がわかるが、出来ない間は、原因が分からないだけでなく、教えてもらっても出来ないものなのである。

手先と腰腹が結ばない原因の一つは、手、特に手先が死んでいることである。指先がまっすぐ伸びず、湾曲しているのである。これでは十分な力がでず、相手の力に制されてしまう。イクムスビの息づかいで、手先と手を名刀のように真っすぐにしなければならない。
原因の二つ目は、肩が貫けないことである。抜けないから腹からの力(気)が手先まで通じないのである。十字の体と息づかいで、肩をぬかなければならない。

次に、手先と腰腹が結んだら、腰腹で手をつかうことである。手を先に動かすのではなく、腰腹の指示に従って手が動くのである。
腰腹と結べば、手先は自分の正中線上にあることになる。手先は正中線上を外れることなく、その線上を上下するも、刃先が通るように手先が十字に返りながら動くだけである。手先の軌跡は、腰腹と左右の足が支点となる円となる。手先から動かしても、手先が腰腹と繋がらずに動かしても、手先は円の軌跡を描かない。それは合気道ではない。合気道の動きは、円の動きの巡り合わせだからである。

手先や手に腰からの気が入り、気や力で満たされると、手先から胸鎖関節までの手は一本の刀となるから、手を剣としてつかうことができるようになる。手を剣として折れ曲がらないよう、そして刃筋が通るようにつかのである。
手を剣としてつかえるようになれば、腰腹で早くも遅くも、強くも柔らかくも自由自在につかえるようになる。
更に、この手に剣を持てば、合気の体と技の動きとなる合気剣となるわけである。

強靭な手をつくり、手を名刀としてつかうには息づかいが重要である。イクムスビや阿吽の息で手に気と力を満たし、つかわなければならない。
相手の正面打ちの手、諸手取の手を制し、引力でくっつけてしまうのは息づかいによる手である。イーと吐いて相手とくっつけ、クーで大きく息を引き、相手を吸収したり、浮き上がらせてしまうのである。

最後に、手を充分につかえるよう、手の節々を鍛えて、つかえるようにしなければならないだろう。手には、手首から先の手の平、手首から肘までの腕、肘から肩までの二の腕、肩から胸鎖関節までの部位があるから、この節々を鍛えるのである。相対での形稽古でその部位をつかい、鍛えたり、また準備運動で鍛えるのもいい。例えば、片手取り四方投げなどで、これらの部位をつかった稽古をするのもいいだろう。有川先生がたまにやられていたことを思い出す。