【第615回】 成功と幸せは違う

合気道と仕事の関係で、多くの外国の友達や知人、そして合気道の仲間ができたし、今でもその付き合いは続いている。主にヨーロッパであるが、約30か国以上の仲間、そしてその付き合いは30年、40年続いていることになる。合気道は、かってドイツで教えていたし、今は、30年来、フランスで毎年教えにいっている。

だから、日本での出来事や社会現象などは、それらの国々や仲間、知人もフィルターに掛けながら見、判断している。
例えば、基本的に、日本は最高に素晴らしい国である。これが前提となるが、最高に素晴らしくあり続けるために、日本で起こるいろいろな事が気になったり、腹を立てたり、批判することになる。

以前から気になるひとつの問題がある。この問題がうやむやになっていることにより、日本人は不安になったり、自信を持てず、そしてどのように生きていけばいいのかを迷っているように思えるからである。特に、若者や子供たちに関係がある。

それは「成功と幸せ」ということである。
日本はまだ、成功すれば幸せになれると考えている。そして成功者がぞくぞく出てきている。しかし、それらの成功者の多くが幸せそうに見えないのである。嘘だと思うなら、その成功者の顔と天真爛漫な幼児の顔と比べればいい。勿論、成功して幸せの人もいるだろう。しかし、それは例外的であろう。これについては後述することにする。

つまり、ひとつの結論は、成功しても幸せであるとは限らないということである。
それでは、成功と幸せについて、私の考えを書いてみる。
成功は、大事だろうが、幸せよりも低次元である。成功を重視するのは経済発展国に多い。日本などまだこの次元と考える。
幸せがより大事であり、高次元で理想の次元と考える。北欧諸国が幸せな国、国民づくりを最優先している。また、成熟した、歴史の長い国で豊かな時代を経験した国、例えば、フランス、イタリアなどは、成功者をそれほど評価していないように見える。彼らは、長い歴史から、成功するために無理をしたり、場合によっては人や他を犠牲にしたことを知っているのである。評価されるのは、個性的な人、独自なもの、独創的な考えを持っている人である。 例:合気道をやっていることによって独創的な考えや哲学、思想を持っていることなどである。

また、成功とは、一般的に社会的な事であり、社会的な満足だと考える。そして幸せとは、己の心の底からの満足であろう。つまり、社会的な成功と己の満足とは違うのである。
理想は、社会的な成功が自己の幸せになることであるが、通常は、そのどちらかひとつか、また、そのどちらもないものである。

合気道的に考えた場合、成功は物質文明の成功であり、つまり、見える世界での成功である。幸せは精神文明の成功といえるだろう。勿論、幸せの土台である経済的な基礎はなければならない。
従って、成功者が幸せになるためには、物質的および社会的な成功を土台にし、そしてその上に精神的そして宇宙的な成功、つまり精神的そして宇宙的に満足するよう努めなければならないと思う。宇宙的といいのは、合気道の教えにある、宇宙楽園建設のお手伝いをすることである。 

成功は社会生活だけでなく、合気の世界にだってあるだろう。成功する人は多いようだが、幸せかどうかはわからない。成功しても幸せでない人が多いのではないだろうか。

成功するのはそれほど難しくないだろう。しかし、幸せになるのはそう簡単ではないと思う。成功談があり、成功パターンがあり、成功の方程式もあるだろう。どれだけ一生懸命やるか、それにちょっと才能と運があればいいだろう。
しかし、幸せには明確な定義もないし、方程式もない。成功者のように、幸せ者が、幸せ談を語ることもない。
また、成功者は目に見えるし、見せようとするから分かり易い。幸せ者は他人からは正しく見えない。精々、幸せそう!ぐらいだろう。幸せかどうか、どれぐらい幸せなのかは、自分自身しかわからないし、他にはそれほど関心ない事であるのだろう。