【第615回】  意識と感覚と技

最近ようやく、合気道の修業は魂の学びでなければならないと確信し、これまでの腕力でない力、自分以外の力で技を遣かおうと四苦八苦している。
そして少しずつではあるが、そのような力があることは分かってきたし、確かに合気道は魂の学び、つまり魄が下になり、魂が上、表になる、つまり魄の世界を魂の世界にふりかえる稽古にならなければならないと思う。

しかしそうなるためには、実際どのような稽古をしなければならないのかを毎日試行錯誤しているところである。
そんな中、それに関係がありそうな一冊の本に出くわした。その本とは解剖学者の養老猛司教授書き下ろしの『遺言』である。この中に、人間の意識と感覚についての説明があり、これが合気道で求めている、力ではない力で相手が倒れる理由があるように見た。

今、ようやく、相対稽古の相手を浮かせ、魄の力でない力で相手を導き、そして相手が自ら倒れるようになってきたが、何故、そうなるのかがよく分からなかった。だから、それ以上先に進まないでいるわけであろう。その理由が科学的にわかれば、更に先に進めるはずである。

『遺言』にはいろいろ書いてあるわけだが、このテーマに関係あるものを幾つか抜き取り、技づかいでの関連で説明してみる。「 」の中が引用文である。

魂の学びのために、「意識と感覚と技」について書いた。この『遺言』によって、魂の学びに弾みがつくことを期待している。


参考・引用文献  『遺言』養老猛司 新潮新書