【第613回】  稽古は積み重ね

稽古は毎日の積み重ねである。ここでの稽古とは“真の稽古“という意味である。真の稽古とは、合気道で云うならば、合気の道の上での稽古であり、目標に向かって一歩一歩近づく稽古である。たまにやって汗をかき、体がちょっと楽になればいいというような稽古ではない。勿論、このような稽古もいい。健康にいいだろうし、体が楽になるだけでなく、精神的にも健康であろう。

しかしここでは“真の稽古“の話をする。
若い内は、2,3日置いて稽古をしてもすぐに元にもどるし、そして上手くなっていくが、やはり毎日稽古している人とは差ができてくるのは明白であろう。ましてや、高齢者になると毎日やらないと上達はない。毎日稽古を続けることによって、前日の稽古と繋がっていくのである。
しかし、若者は毎日稽古をしようと思えば時間とか境遇が許せばできるが、時間や境遇が許されている高齢者は、毎日道場に来て稽古をするのは、体力的に無理であろう。

では、高齢者が毎日稽古するには、どうすればいいかということになる。
それは自宅での自主稽古になる。自宅や適当なところで、自主稽古を毎日やればいい。自分でやるべき稽古プログラムを決め、それを毎日やるのである。柔軟運動、剣や杖や鍛錬棒、徒手の素振り、合気の技の形の単独稽古、四股踏み、舟こぎ運動等である。
この自主稽古で大事な事は、決めたことは毎日やることである。決めた回数をやるのである。しかし、回数をやればいいということではない。この回数が終了するまで、新たな発見をするように努めることが重要なのである。ここに上達があり、稽古の積み重ねと言う意味がでてくるわけである。
だから、もし、そこで新たな発見が無いとしたら、その稽古は失敗と思わなければならない。
尚、新しい発見とは、これまで気が付かなかったことに気づいたり、出来なことが出来るようになったり、解らなかったことが解ったりすること等である。

それでは、この自主稽古での稽古の積み重ねとは、具体的にどのようなものであるかを書いてみる。私が禊ぎとして朝やっている内の一つである「舟こぎ運動」を例として書いてみる。
「舟こぎ運動」をやって発見したことを、珍しく一寸メモっておいたのでそれを書くのである。約一か月間だけのメモであるが、ほぼ毎日、一つの発見や学びがあったようだ。

<「舟こぎ運動」での新発見と学び>
○体と心と息の一致が大事 ○声、無声の声の重要性 ○手を十分に伸ばしきる ○指先まで伸ばすこと ○手を握り、拳をつくること ○股関節を柔軟にすること ○足の陰陽(前後の移動)○胸鎖関節(胸)を大きく開く ○肩関節を開き、肩を貫く ○腰の十字の鍛練が出来る ○手先と腰腹を結ぶ ○足底の開閉 ○突きの練習にいい ○手・腕を鍛える(気と力で満たす) ○息・気が体を導く(魂が魄の上になる) ○腹の締めと開き(十字の息づかい)→ 魂磨き? ○一軸の移動 ○手の平を思い切り開く(指先に気) ○天と地の呼吸 ○潮の干満の息づかい ○へその働き ○背筋が鍛えられる ○肩の後ろの筋肉が鍛えられる ○土踏まずに気を入れる ○踵から爪先への体重移動で、上体が上下 ○足の甲に意識を入れる ○腕の外旋(ひねり)○肩周辺筋肉が鍛えられる ○肩を貫く ○(魂振りで)腹に力が集まる。体に重みが出て、床が揺れる ○首と腹を結んで頭を動かないようにする 等々
12月末現在であるから、これからも「舟こぎ運動」からは学ぶことが増えていくはずである。

剣や杖を振るのも、四股を踏むのも同じである。毎日やって新たな発見をし、教えを受けていくのである。そしてそれを道場での相対稽古でつかい、技に取り入れていくのである。それが積み重なっていけば、上達につながっていくのである。これが真の稽古であると考えている。