【第61回】 出来ないのが当然

合気道に入門した頃は、だれでも先生が稽古人に示してくれる形(かた)が何かよく分からないし、受け身もとれず、関節も弱く、相手に技をかけるどころか、相手の動きについていくのが精一杯であろう。従って、私の場合は、技をかけるより相手に投げてもらって受け身を取るほうがおもしろかったので、喜んで受け身をとったものだ。先輩や上級者との稽古では、先輩には技では敵わないので、早い受身で相手を早く動かし息を上がらせて喜んでいたものだ。だんだんと基本的な形は覚えたが、技がなんたるかも分からなかったし、合気道とは何なのかも分からなかった。しかし、分からないのが当然で、出来ないのが普通だと思っていたので、出来なくとも分からなくとも気にしなかった。

稽古は技を磨くことだということは分かっていたが、どうするのかはわからなかったので、一つの形で技を磨くことにした。逆半身片手取り四方投げである。これは毎日かならず稽古した。大体、いつも顔を合わせる稽古仲間とやっていたが、毎回新しい発見があり、技の面白さ、合気道の奥の深さがわかってくるようになった。四方投げのレベルが上がると、他の形にも影響が及んでいき、他の形まで前より出来るようになった。お陰で四方投げは今でも一番好きで、得意技の一つになっている。

この頃になると、自分でも多少自信がつき、相手もそう見るのか、今度はよくぶつかり合う稽古になって、技が効かなくなってきた。ぶつかって技が相手に効かないとくやしいが、どうしようもない。効かないものは、何度やっても効かない。今考えれば分かるのだが、当時は分からなかった。つまり、技が効くようにやっていなかったので何度繰り返しても駄目である。呼吸力もないし、手足の使い方はバラバラ、体の表から力を出していない等々、技が効かないのは当然である。極端にいえば、このような状況で技が効く方がおかしいのであって、技が効いたとしたら、相手が受けをとってくれたり、力をセーブしてくれたからであろう。

合気道の稽古を長年続けていると、自然に古株となってくる。それなりに合気の体もできてくるし、呼吸力もつき、関節もしっかりしてきて、大抵の相手を制することができるので、自分は強くなったと思いがちである。しかし、初心者でも本当に頑張って力を入れてくれば、合気道の技で自由に制するのはそう容易ではない。極端にいうと、相手はこちらを攻撃してくるわけであるから、そう簡単にその攻撃を制することはできないわけである。

技が効くためにはそのための要因(ファクター)があり、その要因をマスターしていなければならない。この要因は無限にあるので、これをすべて見つけ出し、完全にマスターするのは不可能であるが、出来ることは、少しでも完全に近づく努力をすることである。

技は初めからできると思わず、そう簡単に出来るものではないと思って、出来ない要因、出来るための要因を探し、それを地道に稽古することであろう。