【第61回】 始めは力いっぱい

合気道は力が要らない武道といわれているが、力が要らない武道などない。合気道は力が要らないのではなくて、力を使わないようにする武道である。力を使わないためにも、力はつけなくてはならない。従って、力をつける修練はしなければならない。特に、初心者のうちは力の鍛錬は大切である。

開祖は力をつけるための稽古は特別しなかったし、力を抜けとも言われた。しかし、それは力が要らないということではない。合気道が普及する前は、力がある、体ができたものしか入門させなかった。通常は柔剣道の有段者でなければ入門できなかったのである。従って、特別力をつける稽古は必要なかった。逆に、門人たちは力が有り余っていたことだろう。

最近、稽古人の中にはわかったような顔で「力を抜かなければだめだ」などというものがいる。そういう人にかぎって力が無く、合気の体もできていない人が多い。だが、力がないのに力を抜くことはできない。

『柳生新陰流を学ぶ』(赤羽根龍夫著)の中で、「やわらかく剣を使えるのは、5年、10年の激しい稽古を積んだ後、次第に力が抜けていった結果、到達すべき目標なのであり、修行のはじめの段階でやわらかい稽古をしてしまったら、戦いの法である新陰流の本当のところは分からないままで終わってしまいます。」また、藤原敬信『免兵法の記』を引用し、「和(やわ)らみ、最初より専らと教え候こと、宜しからず覚え候。・・・一体、強みを致し抜けざれば(力を込めた稽古を続けた結果、その力が抜けるのでなければ)、まことの和らみは出来ぬものに候。強みを致し抜けざる和らみは、弱みの至極としるべし。槍・剣術に限らず。相撲をとり候にも、先ず以って剛勢を尽くし、力量の強みを随分と致させ、その者の精一杯強みを致し尽くし候上にて、和らかなる仕形を教える由に候」と言っている。

力が抜けるのは、はじめから力を抜くのではなく、力いっぱいやっていって、力が抜けるようにしなければならないのである。そして、力をつけてから、力を使わないようにすればいい。ここに至れば、合気道は力は要らないということができるようになるだろう。