【第604回】 ベストを尽くす

年を取ってくるということは、近い内にお迎えがくることを感じ、その準備をしなければならないと思うようになる時期に突入した時と考える。
その準備の一つに、自分の一生は充実したものであったかどうかを考えることであろう。そういうことになると、これから少なくともお迎えの来るまで間、少しでも充実した生き方をしなければならないと思うはずである。

それまでの生活が充実していたかどうかは、半分々々とかまだら模様ということであろう。終わってしまったことであるから、どうしようもないわけだが、一度、振り返ってみる意味はあるはずである。恐らく多くの反省すべきことがあったはずだし、また、逆によくやってというものもあるはずである。

よくやったと思えることが充実に繋がるはずである。その事にベストを尽くしたからである。成功するためにベストを尽くすわけであるが、ベストを尽くせば、たとえ失敗しても充実した気持ちになるはずである。逆に、成功したとしてもベストをつくさなければ、真からの充実感は得られない。最も後悔するのは、やりたい事ややるべき事を、やらなかった事や挑戦しなかったこと、そしてベストを尽くさなかった事である。

過去を土台にし、これからを充実した生き方をしたと思えるように生きていきたいものである。そのためには、ベストを尽くすことだと考える。最高の仕事をすることであり、これは自分への挑戦ともなる。どんなことでもベストを尽くすことである。
例えば、合気道の稽古も然りである。毎日の禊ぎ、道場稽古は勿論の事、そのための食事や睡眠などもベスト(食欲と経済・体調条件の最大公約数)、を尽くさなければならない。
道場での相対の形稽古でも、準備運動でも、一教や四方投げでも、心と体と対話しながら、息と気を天地に合わせて、少しでも宇宙の法則に則った、宇宙の営みに近づくように、挑戦しなければならない。やるべきことは無限にあるが、ただベストを尽くしていくだけである。

ベストを尽くすためには、ベストを尽くす目標がなければならないはずである。その目標をしっかり自覚しなければ、ベストは尽くせないだろう。
人によって違うのかもしれないが、合気道的には、その目標は宇宙楽園・地球天国建設のお手伝いといえよう。
この目標に向かった生き方や努力をしていれば、人だけでなく、万有万物が喜んでくれるはずなので、命懸けでもベストを尽くすことができることになるだろう。

一つの事、例えば、合気道の形稽古でベストを尽くすようになると、その形稽古での準備運動や一つ一つの技でもベストを尽くすようになり、そして日常生活における一瞬一瞬もベストに生きようとすることになるだろう。
そうすると、いい一日になり、いい一年になり、そしていい一生となって、充実した一生ということになるものと考える。

ベストを尽くすということは、開祖が云われる、使命を果たすことになり、宇宙生成化育のお手伝いをしたことになるわけである。
ベストを尽くしていくことが、高齢者の充実した生き方ではなかろうかと考えている。