【第600回】  使命

これまで70数年生きてきたが、今考えても摩訶不思議な事を幾つか体験してきた。例えば、死んでもおかしくない体験を三度ほどしたが、幸運にも生き延びた。また、大事な場では成功に導かれ、運が良かったとしかいいようがなかった。何ものかに見守られ、導かれているとしか思えないのである。
しかし、何故死ななかったり、いい結果の方に導かれたのか、よく分からないままにしてきた。

合気道を修業してきて、その訳が少しずつわかってきた。合気道では、人でもモノでも形を持ったものには使命を持たされているというのである。開祖は、「魄をもったことは天からの使命を持たされたことなのです」といわれているのである。
ということは、自分自身も使命を持たされているということになるはずである。だから、その使命のために、死から免れ、いい方向に導かれたということになるのだろう。

前に述べたように、自分が使命を持たされていることを気づかさせてくれたのは合気道である。また、開祖は、「その人その人の天授の使命を完うさせていくのが、合気道である」(p.26)と言われている。そして、「例え三日でも五日でも合気を習って、自分の健康に、またみそぎとして、自己の使命の上に参考として、宇宙の営みの道を神習うて、自己の完成をしてもらいたい」(『武産合気』)と言われているのである。合気道に導かれたのも、続けているのも使命と云うことになるだろう。

先述したように、何ものかに助けられたわけであるが、それは使命があるということになるだろう。使命を与えた方が、与えた責任があるから助けてくれ、導いてくれたということになるのだろう。

高齢者のための合気道 第597回「合気道だけではない」で、民芸研究家の柳宗悦の事を書いた。彼は思想家でもあるが、日本の民藝の素晴らしさを知らしむべく、民芸運動を起こし、全国から集めた民芸品の優品を展示する「日本民藝館」を東京・駒場に創設した、偉大な民芸研究家である。
この柳宗悦も、民芸研究が彼の使命として天から与えられたと、次のように語っているのである。「私(柳宗悦)がこの研究を選んだのではなく、この研究に偶々私が招かれたにすぎないのです」柳宗悦(民芸研究家)。

勿論、合気道を創られた植芝盛平開祖の使命も合気道をつくり、合気道で世の中を禊ぐことで、そのため多くの神様が命を下したり、導かれたり、支援されたりしたことは広く知られる通りである。

尚、使命には開祖や柳宗悦のような大きな使命もあるが、小さな使命もある。例えば、「よく自分を知るということが自分に課せられた天の使命であります」というような使命もある。逆に言えば、自分を知ることが使命であれば、誰にでも使命があるということになるわけである。

合気道によって自分の使命に気づき、その使命達成のために更なる合気道の修業をしていきたいものである。