【第590回】 高齢者の稽古

稽古は日々、年々上達することにある。昨日より今日、今日より明日、また、去年より今年、今年より来年と上達していくことである。従って、稽古の年数を重ねれば重ねるほど上達しなければならないはずである。

しかし、高齢者になってくると、上達組とそうでない組に別れていくように見える。勿論、どちらの組も、本人たちは、上達していると思っているし、そう思うようにしているように見える。
但し、これはあくまでも50年以上に亘って、いろいろな相手と稽古をしてきた、私の目での区別である。

上達組は上達するために一生懸命に稽古をしているわけだし、上達するような稽古をしているわけだから問題ない。
問題は、高齢になって上達マイナスカーブにある組である。

稽古をやっている高齢者の多くは、若い頃(50才以前)より稽古を続けているから、普通の稽古人との申し合わせ稽古では技が効くようであるが、ちょっと力を入れられたり、頑張られると力んで、腕力でやってしまう。
しかし、大体の場合は、腕力で相手を倒すことができるから、それで出来るいいと思うのであろう。

このような高齢者と稽古をすると気になるのは、体が硬いことである。ちょっと力を入れてみると、手足が硬まってしまい、これでは少し力を入れれば折れてしまうのではないかと心配してしまう。
また、体の硬さに関係して、頭が硬いようである。自分のやり方が正しいと思い込み、聞く耳を持たないのである。頭が固いから体が硬くなっていくような気がする。

従って、体を柔らかくするために、頭を柔らかくすればいいと思う。それにはいろいろな方法があるだろう。一番いいのは、自然(海、山、川、森、草花等々)に親しむことである。自分が如何に小さいか、自分以外のモノもみんな力むことなく一生懸命に生きていること、何かに活かされていること、万有万物がみんな繋がっており、同朋であること等がわかるはずである。
また、合気道の外の世界に入って、見分することである。自分は合気道を長年やっているなどと誇りに思っていても、ほとんどの他人は興味を持ってくれないはずである。その落胆を一度経験すればいい。自分の合気道はまだまだだと思うはずである。

頭が一寸でも柔らかくなれば、体はその分柔らかくなるはずである。頭が柔らかくなった分、己の体の硬い事、柔らかくしなければならないと思うはずである。そうなれば、それを意識しながら稽古をするようになるし、柔軟体操も注意するようになるだろう。息づかい一つで体は柔軟になるものである。

次に、何故、上達組とそうでない組に別れてしまうのかを考えてみる。
上達組は自分との戦いをしてきた、絶対的な稽古をしてきた人たちであり、そうでない組は、稽古相手や他人を意識した相対的な稽古をしてきた人たちだと考える。

若い内は、上達組もそうでない組の差は見えないようだし、相対的な稽古をしている方が、上達が見えやすいものだが、年を取るにつれ、そして60以上の高齢者、70以上の後期高齢者になるにつれて、そのカーブの差がどんどん開いてくるようである。

そして最大の問題は、相対的な稽古を、高齢者、後期高齢者になって、絶対的な自分との戦いの稽古に変えることが、最早、不可能であると思ってしまうことであろう。
しかし、確かに難しいだろうが可能性はあるはずである。自分と戦うことは誰でもできる。頭を切り替えればいい事である。

見ていて素晴らしいと感心させられる稽古は、己と戦っている稽古人の姿である。これには年は関係ない。高齢者もこうありたいものである。