合気道は技を磨き練って精進していくが、この技を体得していくのは容易ではない。どうしても形(型)から抜け出せず、形で倒そう、抑えようとしてしまうので、腕力に頼ることになってしまい、合気道にならないのである。
そこで今回は、合気道の形稽古の形からどうすれば技を見つけ、技を会得することができるのかを研究してみることにする。
入門当初は、まず正面打ち一教とか入身投げとかの基本の形を学ぶだろう。先生が示してくれるこれらの形を繰り返しやることによって、その形が身に着いていく。
しかしながら、形が身に着くと、その身に着いた形で相手を倒せばいいと思ってしまい、形で倒すことに陥り、そこから中々抜け出せないのが問題なのである。
正面打ち一教とか入身投げとかの基本の形には、意味と術理がある。各形には、どのような場面のために生まれたのか、どのような攻撃に対して、どのように対処しようとしているのか等々の意味が必ずあるはずである。例えば、正面打ち一教なら、敵が剣で正面を切ってくる事に対処する動きの形である。
そして形には、その攻撃に対しての対処の仕方のための理合いのテクニック、つまり「術理」が入っているはずである。例えば、正面打ち一教は、剣で切りつけられても、切られずにその攻撃を対処する術である。敵は鋭利な刀で攻撃してくるわけだから、よほど気を引き締めて掛からなければ稽古にならないことになる。
形の稽古をする場合は、その形の意味と術理を深く考えなければならない。
命を懸けて先人がつくったものだから、先人の心にならなければ、その形の意味も術理も分からないだろう。それが分かるためには、例えば、合気道開祖植芝守高(盛平)著 『武道練習(合気道)』などで勉強するのがいいだろう。
形稽古の意味と術理が分かってくると、先人の心が分かってくるし、先人とつながってくるはずである。術理は真実であるから、未来にも通ずるもので、過去とも未来とも繋がってくることになる。
この術理を通して技を学ぶのである。術理という言葉は、少し人間臭く、敵を倒すためのテクニックという武術時代の古風な印象を受けるが、相手を倒すための真の理合いの術ということかと考える。
因みに、術理の形稽古と技の稽古の違いを、思いつくままに挙げてみると、次のようになるだろう。