【第588回】  好きに攻撃させる

合気道は相対の形稽古で投げたり受けを取ったりしながら精進していく。
形稽古で合気道の形を覚え、体をつくり、そして技を身につけていくのである。
合気道は、技を掛ける取りと、その受けを取る受けは、必ず交代する平等主義である。どんなに高段であろうと、初心者であろうと、左右裏表4回技を掛けたら、今度は4回受けを取るのである。勿論、自主稽古の時は、この平等主義はなくなり、実力主義になることが多いだろう。

技を掛ける方は、技を掛けて相手が倒れれば気持ちがいいので、何とか上手く投げようとする。受けも通常は素直に受けを取っていくので、取りと受けの関係は上手くいっているのだが、時として、上手くいかない事がある。
上手くいかない原因は、大体の場合は、技を掛ける取りの力不足ということになるが、別な原因がある場合もある。その典型的な原因として、受けが力一杯手を掴んできたり、打ってきて、それを取りが受けきれない場合、また受けが頑張って容易に倒れてくれない場合などである。

時には、受けの行き過ぎの頑張りも見受けられる。
例えば、諸手取呼吸法などで、取りの真正面で力んで頑張っている等である。これは武道的には誤りの攻撃態勢ではあるが、これも己のいい稽古と思って、体と技をつかい、相手を導かなければならない。よほど相手が頑張らなければ、相手を陰陽、十字などの法則に則ってやれば、相手を動かすことも倒すこともできるはずである。

受けも、受けによって形を覚え、体をつくり、技を会得しなければならないので、力一杯攻撃することは正しい稽古法である。しっかり手を掴んだり、打ったりすることで手に力がつくし、腰腹も鍛えられるからである。
それ故、取りは如何なる受けの攻撃に対しても、対処できなければならないし、出来なくとも出来るように鍛える努力をしなければならないことになる。

真正面で頑張っている状態の相手を倒すことができたら、そこで頑張っている受けに対して、そのような体制での攻撃は間違いであると諭してやればいい。はじめから、それを言ってしまうと、取りは自分が出来ないから、力を抜いてくれとお願いしているのだと思うし、受けはこれでいいと思ってしまうだろう。また、取りとして、自分の稽古になるいい機会を失うことにもなり、もったいない話しである。

先ほどの諸手取での受けの正面に立っての攻撃態勢は誤りであると言ったが、何故誤りなのかを説明する。
まずは、受けの意味を知らないためにそのような攻撃態勢になるのである。
受けの役割は、取りを攻撃することである。攻撃は最初に、手を掴むだけでなく、手を掴んでスキがあれば、いつでも攻撃ができる態勢と心構えをしておかなければならないのである。最後に投げられたり抑えられても、スキを見つければ攻撃できるような心構えをしておかなければならない。合気道は武道だからである。

相手の正面に立って頑張っていれば、取りは片方の空いている手で、頭を打つだろうし、膝で顎を蹴ることもできるわけで、危険極まりないし、とても攻撃の役割を果たしているとは言えないことになるのである。

しかし、先述したように、取りとしていい稽古材料である。このように頑張られたところから、技がつかえるようになれば、相当なものだ。場合によっては、お願いして、そのような態勢で攻撃して貰うのもいいだろう。
相手に好きに攻撃してもらうことが、自分のいい稽古になるはずである。