【第586回】  個と全体

合気道に入門して、稽古を始めるとみんな目を輝かせ、心躍らせて稽古に励む。初めて知る合気道の形を知り、それを覚えることに喜びを感じているのである。
形を覚え、受け身が取れるようになり、体もできてくると、相手を投げたり押さえたくなる。他人に負けないための稽古になっていく。そして相手とぶつかったり、相手にやられたりして自分の実力と限界を知り、また、見掛けでは分からない他人がいること等を知っていくわけである。

ここまでの期間は、中身がまだ詰まっていない技の形を力でやっているので、腕力や体力のある相手に頑張られてしまう。
そこで走ったり、腕立てをしたり、鍛錬棒などを振って筋肉と力をつけようとする。これで多少は相手に頑張られるのが減るが、いずれその内に力では倒れてくれないことがわかってくるものである。

相手が倒れてくれるには、技が必要な事に気づかなければならない。体を陰陽、十字につかい、円の動きをつくって相手を導くのである。
しかし、この段階ではまだ力に頼る魄の稽古をしていると言えよう。

合気道は魂の稽古でなければならないと教わっている。それまで培った魄(体力、気力)を土台にして、魂で技をつかうのである。
容易ではない。次元が違うのである。これまでの稽古の延長線上にはない。
それではどうすればいいのか。
その一つは合気道を創られた開祖に習うことである。

開祖も初めは、人に負けないために修業をされていた。そして一度も負けなかったといわれる。魄の修業をされていたわけである。
それが魂の修業に変わられたわけであるから、何か魄の修業との違いがあるわけである。我々もそれをやることによって、魂の稽古に変わることができるのではないかと考えるのである。

開祖も初心者も魄の時代の稽古では、己自身のための稽古をしている。己を上達させよう、他人より強く、上手くなろうと、己のために稽古をしているのである。

開祖が魂の修業に入られたとき、開祖はご自分の修業は続けられておられたが、新たに地球楽園、宇宙完成のための修業に入られたのである。ご自分だけの合気道ではなく、宇宙完成のための修業をされたのである。
それは他人や敵をどうこうするといのではなく、また、己だけが強く上手くなればいいというのではなく、人類のため、宇宙完成のために修業しなければならないということを悟られたのだと拝察する。

五井昌久白光会創設者も人類世界の大平和実現を目指されて活動されていた関係で、開祖が親しくされていたはずである。お二人とも個を超越して、地球、宇宙完成のために活躍されていたわけで、それは魄ではなく魂の働きであるはずである。

魂の稽古に入るためには、個の修業は続けながら、個を超越した地球、人類、宇宙など全体のための修業に入る必要があると考える次第である。