【第585回】  心での誘導

力の魄の稽古をしたら、魂の稽古に入っていかなければならないわけだが、容易ではない。魂の稽古とはどんなものなのか、また、どうすれば出来るのかが皆目わからないからである。
しかし、何としても魂の稽古をしなければならないわけだから、どうすればいいのかを考えなければならない。

そこでいろいろ試行錯誤して出てきた一つの答えは、魄と魂の橋渡しになる稽古をすればいいだろうということである。
そのために、魄とか魂とか、まだ良くわかっていない言葉をつかうのではなく、自分たちに分かる言葉で考え、稽古をすればいいと考える。

まず、魄であるが、これは腕力や体力など見えるものからの力と解釈する。所謂、魄力である。この力は人の本能でつかえるし、誰もがつかっているし、また、その力しかつかえないので問題はないだろう。
問題は魂である。魂は目に見えないし、これだと示すこともできない。
だから、魂に変わって魂に近い、我々が知っている言葉をつかって稽古をすればいいと考える。
それは「心」である。
つまり、魄力から心で技を掛ける稽古をするようにするのである。

誰でも知っているし、いつも稽古をしている「坐技呼吸法」で心の稽古を説明してみる。
初めは、誰でも力で相手を倒そうとする。力でやっているうちに筋肉がつき、手首や腰ができて、弱い相手なら倒すことができるようになる。
しかし、段々と相手が倒れなくなってくるものである。そしてここが魄の稽古の限界ということになり、ここから次の稽古法に映らなければならないのである。
それが心の稽古である。

己の手と足を腰で結び、そして心で結んで心で動かすのである。つまり、心がまず動き、腰、足、手を動かすのである。
「坐技呼吸法」の場合、息を一寸吐きながら、心で腰、手を出し、両手を相手に掴ませ、相手と結ぶ。これで相手と一体化したわけである。

ここで息を体いっぱいに入れながら、心で相手にこの手を引くように念じると、相手はこちらの両手を引きながら浮き上がってくる。掴ませている両手は動かさないで、心だけで引かせ、浮き上がらせ、誘導するのである。浮き上がらせ、相手を無重力の状態にするためには、相手にこちらの手を引っ張らせなければならない。それを手を動かす魄の力ではなく、心でやるのである。
開祖は、「相手が引こうとしたときには、まず相手をして引く心を起こさしめ、引かすべくしむける」(「合気神髄」P.173)と言われている。
要は、「坐技呼吸法」で相手が倒れるのは、力ではなく心であるということである。心で引く心を起こさせ、引かざるを得なくし、そして自由に誘導するのである。
「坐技呼吸法」でこれができるようになったなら、片手取り、諸手取、胸取り等々で稽古をすればいい。
魄から魂への一歩前進した稽古になろう。