【第578回】  反省の心を忘れない

合気道は技を錬磨しながら精進していく武道である。しかし、その上達は容易ではないと思う。
その理由を考えてみると、まず自分が上達しているのか、どのぐらい上達したのかが分かりづらいことである。合気道には試合がないし、稽古も勝負をするものではないからである。
また、何が上達なのか、上達とはどういうことなのかが分かりづらいことである。
そしてまた、どうすれば上達できるかが問題である。

稽古をただ漠然とやっても上達はしない。上達のためには上達するように稽古をしなければならない。
それには、まず目標である。しっかりした目標を定めなければならない。合気道の目標と己自身の合気道で目指す目標である。例えば、開祖は合気道は宇宙との一体化への道であるといわれている。これが合気道の目標である。まずこれを確認しなければならない。そしてこの目標に従って稽古をすれば、これが己の稽古の目標ということになる。
勿論、例えば健康法などの目標もあるだろう。しかし、目標がなければ、稽古を目標なしにやっているわけだから、上達もヘチマもない。

次は目標に向かっての鍛練である。技を鍛錬し、体と心を鍛錬するのである。鍛錬の目的は技の向上であり、体と心の向上である。向上とは目標である宇宙に近づくことである。
そのためには課題をもって稽古をしなければならない。毎回、課題をもち、課題に挑戦していくのである。しかし、課題を持つのもそれを解決するのも容易ではないはずである。課題を持つようになれば大分上達したといっていいだろう。

向上するためにもう一つ重要なことがある。それは常に反省することである。自分のつかった技はこれでいいのか、何故上手くいかないのか、また体のつかい方は法則違反をしていないかなど等である。
開祖は反省の心を忘れるなと、「絶えず反省の心を忘れないで鍛錬、向上することに精神を怠ってはならないのである」(『合気神髄』P.18)といわれているのである。

合気道は試合もないし審判もいないので自分自身で判定しなければならないから、時として、自分のやっていることは正しいと思い込んでしまうものである。実際は間違っているのに、正しいと思い込んでしまえば向上はないことになる。だから、自分自身で厳しく、自分のやっていることを判定評価しなければならないし、間違ったことは反省し、下手なところや駄目なところを改善していくのである。

反省の基準は、勿論宇宙の法則であり、宇宙の心、つまり一元の大神様の心である。
宇宙の法則と心に則っておらず反すれば、反省しなければならない。
合気道の上達、向上は反省の心を忘れないことにもあると考える。