【第574回】  上達のための一考

合気道を始めて50年以上になるが、最近になってようやく合気道というものが少し分かってきたようだ。見る人から見ればまだまだ分かっていないといわれるだろうが、自分がそう思うようになったのだから、それを信じることにしただけである。

これまで少しでも上達したいと思いながら稽古を続けてきたわけであるが、振り返ってみると、上達というのは真っすぐな一本道ではなく、道を乗り換え々々進んでいくので、複数の道を行かなければならないことになる。

初めの上達の道は、相対的な上達への道である。
一緒に入門した同期に負けないよう、他の稽古人に負けないように稽古をする“他人との戦い”を通して上達していくということである。
この道での稽古は形を覚え、力をつけることになるので非常に大事である。
つまりこの段階での上達は、形を身に着け、力(腕力、体力、筋力)をつけることになる。

次の上達の道は、前期の相対的な上達ではなく、“絶対的な上達”の道である。
“自分との戦い”である。他人との戦いではなく、他人を己の一部としてしまい、他人のお蔭で自分を上達させてもらうのである。自分の掛けた技の良し悪しは相手の受け方でわかる。
これは前の道とは全然別な、異質の道である。従って、前の相対的な道を進んでいっても到達できない道なのである。道の乗り換えが必要なのであるが、異質の道なのでその乗り換えが難しい。

上達するためには自分を見つめなおさなければならない。自分の長所と短所、強いところと弱いところなどを認識するのである。そして強いところ、長所を伸ばし、弱いところ、短所を補強していくのである。これが上達になっていく。

更に、自分の体を見つめるのである。それは技稽古をしていればよくわかるはずである。体の中心と手・足・首の末端が緊密に結びついていて、中心を動かすと末端が動きやすい事、体は十字に動くようにできていること、体は息によって働くこと、体を適当につかわないとさび付いてくる等々が見えてくる。
体がより多く見えてくるのが上達という事になるわけである。己の体が見えてくると技も変わってくるからである。

体が見える、体を知るということは、体と対話ができるということである。体は常に語り掛けている。そんなつかい方をすれば膝や腰に悪いからやめてくれとか、こう使った方がいいとアドバイスをくれているのである。
体の声が聞こえるように、体を見つめ、使わせてもらわなければならないだろう。その声を無視すれば、必ず体を痛めることになるはずである。

自分の体を深く知るようになると、他人の体も見えるようになり、つかう技が変わってくる。相手の体にも無理難題をかけないように技を掛けるようになる。
また他人の体が見えるようになると、人以外の周りのモノ、草や気や動物との対話ができるようになり、そして宇宙との対話ができるようになるだろう。
そこまで上達の道を進みたいものである。