【第572回】  阿吽の呼吸の技でのつかい方

これまで技はイクムスビの呼吸でつかわなければならないと書いてきた。このイクムスビの息づかいは技をつかうためには必須であることは事実である。
だが阿吽の呼吸という息づかいがあり、その息づかいも技をつかう上で重要であり、必須ということになると、どちらかが間違いではないかということになるかもしれない。

しかし、イクムスビの呼吸も阿吽の呼吸も本質的には同じだと考える。それは技をつかう際に、この呼吸でやってみればわかるはずである。
イクムスビのイクが阿吽の阿でム(ス)が吽になるのである。
イクムスビでイーと息を軽く吐いて相手と結んで、そこからクーで息を入れて相手を導くわけであるが、阿吽では阿で、相手と結びそして相手を吸収・引き出しているのである。また、イクムスビのムーは阿吽の吽となる。
技を一瞬に決める場合は、阿吽の呼吸ということになるだろう。阿吽の呼吸にはイクムスビの呼吸が入っているわけである。だからイクムスビの呼吸ができなければ阿吽の呼吸はできないはずである。

それでは技につかえる阿吽の呼吸とはどのような呼吸なのか、どのような息づかいをすればいいのかを研究してみたいと思う。

まず、一般的な阿吽の定義から、阿吽は宇宙の初めと究極などと、二つの対立するものであり、吐く息と吸う息の呼吸であるとあるから、究極の呼吸である。
究極の呼吸とは、思いっきり吸い、思いっきり吐くことであり、五体が響きそれが宇宙に発兆する「雄たけび」である。何故なら、開祖は、「武産の「武」のそもそもは「雄たけび」であり、五体の響きの槍の穂を阿吽の力をもって宇宙に発挑したものである」「五体のひびきの槍を阿吽の力によって、宇宙に拡げるのである」等と云われているからである。

次に、阿吽は魂の技を生む呼吸であるという。開祖は「武産の武の阿吽の呼吸の理念力で魂の技を生み出す道を歩まなくてはならない」と言われているのである。魄の技から魂の技に変えて行くには阿吽の呼吸が必須ということである。

更に、前回も書いてくどいようだが重要と思うのでもう一度書く。
「阿吽の呼吸が、左、右、左と巡環に払って禊ぎすれば、四方八方位に武産が生き生きとして、武の兆しが出る。阿吽の呼吸の気の禊ぎによって生じた武の兆しは、不思議なる魂の花が開き、各自の使命の実を結ばせ、心で身を自由自在に結ぶ。すなわち魂魄の結合の武の本義を現わす。」(『合気神髄 P.93』)
つまり、阿吽の呼吸によって武になり、そしてその武で魂が現れ、魂(心)が上になって魄(身)を導くという、武道が求める本義である魂魄の結合が現れてくるということであろう。
従って、武道の本義である魂魄の結合、心で身体を自由自在に導く、魂の武をやるためには、阿吽の呼吸でなければならないということになるのである。

このような意味でも阿吽の呼吸は重要であり、従って、技は阿吽の呼吸でつかわなければならないことになるわけである。

それでは阿吽の呼吸とは実際にどのようなものであるかということになる。道場での相対での形稽古や一人稽古での剣の素振りから得たものを基に書いてみることにする。

阿吽の呼吸は、阿吽の阿で息を入れる。口や腹だけでなく体中に息を入れる。そのためには仙骨で息を入れていく必要があるだろう。宇宙にまで広がる雄たけびにならなければならない。阿で身体は気と力でみなぎり、下腹に気と力が集まってくると同時に、体から気と力が上下前後左右に発兆する。
吽で宇宙まで広がった気を腹中に収める。
二教裏などこの阿吽の呼吸でやればその効果は歴然である。また、剣の素振りや四股も阿吽の呼吸をつかうといい。
更に、これまでイクムスビでやっていた柔軟運動なども、阿吽の呼吸でやるとさらなる効果がでてくる。