【第571回】  阿吽の呼吸

相対稽古の形稽古で、技は息に合わせてつかわなければ効かない。イクムスビの息づかいで、イーで相手と一体化し、クーで相手を導き、ムーで技を決めたり、投げたりし、スーと離れ、(ビ)イーでまた相手と一体化するのである。

しかし、息づかいにはイクウスビの他に、もう一つ「阿吽の呼吸」という息づかいがある。
開祖はイクムスビという息づかいは、行者がつかう息づかいであるとは言われているが、その重要性やそれ以上の事は云われていないようである。
それに反して、「阿吽の呼吸」についてはもう少し詳しくご説明されているし、その重要さにも言及されている。
例えば、「阿吽の呼吸が、左、右、左と巡環に払って禊ぎすれば、四方八方位に武産が生き生きとして、武の兆しが出る。阿吽の呼吸の気の禊ぎによって生じた武の兆しは、不思議なる魂の花が開き、各自の使命の実を結ばせ、心で身を自由自在に結ぶ。すなわち魂魄の結合の武の本義を現わす。」(『合気神髄 P.93』)
つまり、阿吽の呼吸によって武になり、そしてその武で魂が現れ、魂(心)が上になって魄(身)を導くという、武道が求める本義である魂魄の結合が現れてくるということであろう。
従って、武道の本義である魂魄の結合、心で身体を自由自在に導く、魂の武をやるためには、阿吽の呼吸でなければならないということになるのである。

そのためには、まず阿吽の呼吸とはどのような呼吸、息づかいかを研究しなければならない。
一般的な阿吽の意味を『大辞林』で見てみると、

  1. 密教で、宇宙の初めと究極。万物の根元と、宇宙が最終的に具現する知徳。悟りを求める菩提心と、到達する涅槃。
  2. 寺院の山門の左右にある相。一方は口を開き、一方は口を閉じる。
  3. 吐く息と吸う息。呼吸。
  4. 対立する二つのもの。
とある。
また、阿吽の呼吸は二人以上で一つの事をするときに気持ちの一致する、微妙なタイミングとある。
阿吽と阿吽の呼吸については、これで何となく分かったような気になるが、これだけでは技につかえないだろう。

次に、阿吽や阿吽の呼吸について開祖は先述したように言われているわけだが、その他にも次のようにも云われているのである。
○結局この世の行いをするのに(=合気道は)、アウンの呼吸でなければならない。精神的にいえば四魂(奇霊、荒霊、和霊、幸霊)の行にして、物質的には、天下水地の四大活動造営なのである。(武産合気P.79)
○五体の響きの槍の穂を阿吽の力をもって宇宙に発挑したものである
○武の阿吽の呼吸の理念力で魂の技を生み出す道を歩まなくてはならない
○五体のひびきの槍を阿吽の力によって、宇宙に拡げるのである(合気真髄 P86,87)
尚、開祖は阿吽には、阿吽の呼吸以外に、阿吽の呼吸の気、阿吽の気、阿吽の気の呼吸、阿吽の力があると言われていることにも注目しなければならないだろう。つまり、阿吽には呼吸だけでなく、気もあり力もあるということなのである。

これらのことを踏まえて、また別な言葉をつかえば、これらの教えや定義に反しないようにしながら、阿吽の呼吸を技の稽古でどのようにつかえばいいのか研究しなければならないだろう。
しかし、文量も多くなってしまったので、続きは次回にする。

次回は、「阿吽の呼吸の技でのつかい方」とし、阿吽の呼吸と技の関係、技のつかい方などを研究してみたいと考えている。