【第57回】 真理

合気道の稽古は、合気道の形と技を通して「真理」を求めるものでもあろう。技で言う真理とは、技が上手く使えるための要因であり、それがなければ誰がやっても上手くできない理(ことわり)である。

学問や宗教の世界と同様、合気道における真理は作るものではない。それは既に存在しているものである。われわれはそれを見つけられるかどうか、または、見つけるのが速いか遅いかだけである。「真理」は無数にあるし、異なった次元ごとに異なる質のものがあると思える。多くの「真理」、深い「真理」を自得したものを名人、達人、上手というのではないだろうか。

「真理」を見つけるには、一言で言えば、宇宙万世一系に沿った、または適った修行でなければならない。その道から逸れてしまうと、支流(亜流)に行ってしまい、そうなると自己流となり、「真理」とはほど遠いものをつくって満足してしまうことになる。

合気道の技の稽古の中で見つけた「真理」は、合気道の思想、哲学とも矛盾しないものであるはずで、また日常生活やビジネスの世界でも「真理」として通用するはずである。例えば、技をかけるにあたっての"気の体当たり"の重要性は、どんな仕事をするにあたっても大事な、必要不可欠の「真理」である。

「真理」は既にあり、無限にある。技が上手くかかるかどうかは、この「真理」を如何に多く見つけ、自得するかであろう。それを信じ、焦らず地道に求めるのみである。「真理」は我々を待っている。