【第568回】 仙骨

合気道の技は宇宙の営みを形にしたもので、宇宙の法則に則っていると教わっている。宇宙の法則は、例えば十字の法則、陰陽の法則などがあり、それらの法則に則って技をつかわなければ技にならないことは、これまで書いてきた。合気道の技には、宇宙の法則があることは確かである。

それでは宇宙の営みとはどのようなものであるのかを研究しなければならないだろう。広大無限の宇宙であるから多種多様な営みをしているはずだから、一度にそのすべてを把握するのはできない。地道に一つずつ見つけ、技で試し、技と心体に取り入れていくほかない。
また、宇宙の営みを見つけ、会得していくためには、われわれ合気道家は開祖の教えに従い、合気道の技の錬磨で得ていくしかない。

開祖は、錬磨する合気道の技が、天の浮橋に立たされて、布斗麻邇(ふとまに)の御霊の姿を現すようにならなければならないといわれる。布斗麻邇とは、気体と気体と正しく打ち揃った美しい様である。そして、「これはイザナギ、イザナミの大神、成りあわざるものと成りあまれるものと・・・。」(合気神髄 P153)であると言われている。

これが一つの宇宙の営みであろう。この営みを簡単に独善的に解釈させてもらうと、相反するもの、異質のもの、陰と陽が美しく一体化するとなるだろう。つまり、合気道の技も、相反する陰陽が相反しながら働き、一体となることから成り立つという事になる。

この宇宙の営みに類似している、というより恐らく同じものだと思われるものに、以前に書いた「摩擦連行作用」がある。開祖は、「こうして合気妙用の導きに達すると、御造化の御徳を得、呼吸が右に螺旋しつつ舞い昇り、左に螺旋して舞い降り、水火の結びを生ずる、摩擦連行作用を生ずる。水火の結びは、宇宙万有一切の様相根元をなすものであって、無量無辺である。」(合気神髄p87)と言われている。

開祖はまた、「この摩擦連行作用を生じさすことが、できてこそ、合気の真髄を把握することができるのである。」(合気神髄p87)と言われているが、また、「合気は天の浮橋に立たされて、布斗麻邇(ふとまに)の御霊、この姿を現すのであります。これをことごとく技にあらわさなければならないのであります。」と言われているのである。

さて、それでは布斗麻邇や摩擦連行作用の宇宙の営みの姿を、合気道の技にあらわすためにはどうすればいいのかということになる。
これまでにも、合気道の技をつかう際には、天の浮橋に立つ、遠心力と求心力の陰陽の力である呼吸力をつかわなければならない等と書いてきた。確かに、天の浮橋に立たなかったり、呼吸力をつかわなければ相手との一体化はできないから合気道にならない。
しかし、この段階では、まだまだ人間としての自分がやっているとしか思えず、宇宙の営みで、宇宙の力、または己以外の力を頂いて技をつかっているようには思えない。

布斗麻邇や摩擦連行作用の宇宙の営みの姿を感じ、技に表わすために体から陰陽の力と気を出さなければならないだろう。上に上る力・気とそれに比例して下に下りる力と気が働くのである。日常生活では、力は上か下への一方通行であるが、合気道の場合は2方向(正確には全方向)でなければならないのである。

人間の体でこれができるのが「仙骨」であると考える。背筋、特に腰椎を伸ばし下腹で仙骨を引き上げるように息を入れると、仙骨から背骨を通って力と気が上昇すると同時に、仙骨から下腹を通って力と気が地に下りて行く。上体に力と気がみなぎると同時に体は地に沈み込み安定する。
また、上に上がった気と力を下ろす場合、息で気と力を腹にためて落とすが、そのままでは息がつまってしまうので仙骨で、息を吐きながら落とすと、気と力は下に下りると同時に、地からの力が腹を通して上がってくる。この感覚は四股を踏むと良くわかる。

通常、上体が力や気でみなぎると下体は虚になり安定がなくなるものである。上体も下体も力や気でみなぎり、盤石になれるのは、この仙骨での呼吸と考える。仙骨は天地の力、気が合流する骨である故、多くの神秘が隠されている特殊な骨と言われているようである。世間で仙骨が神秘的といわれるのは、このような理由だと思う。

宇宙の営み、布斗麻邇や摩擦連行作用の宇宙の営みの姿を感じ、身に着けるために「仙骨」をつかっての技の稽古をすればいいと考えている。
次回も引き続き「仙骨」の2とし、「仙骨」をもう少し深く研究してみたいと考える。