【第566回】  呼吸力

「合気道ではどんな技も、どんな動きでもこの呼吸力がなくては絶対に正しい技とは言い得ないのである」(「合気技法 P79」)と云われるように、技を錬磨して合気道を上達していくには、呼吸力の養成が絶対に不可欠であり重要になる。
しかし、誰もが知る通り、この呼吸力というものが難解なのである。難解というのは、一つは、呼吸力の理論的な解釈。二つ目は、呼吸力の感覚と出し方の二つの難しさがあるという意味である。

その難解さ故、多くの初心者は呼吸力の理論的と肉体的な養成に目をつぶったり、諦めているように見えるので、呼吸力の養成ができるように、少しでも手助けしたいと思っている。

まず、呼吸力の理論的な解釈であるが、開祖監修のもと二代目吉祥丸道主が書かれた「合気技法」の中で、「合気道では、しばしば“気”、”気の力“、気の流れ“という言葉が用いられるが、これが合気道の技の生命として流れる時、その力を呼吸力という」(p79)とある。
しかし、これでは呼吸力はわからないだろう。
先ず、”気“ということがわからないからである。私もまだ良くわからないが、例えば、”気“を宇宙エネルギーとしてみると、少しはわかるような気がするだろう。
次に、「これ(宇宙エネルギー)が合気道の技の生命として流れる時」が難しい。これは体で感じることなので、感じられなければ、呼吸力を感じることができないからである。

宇宙エネルギーである“気”が技の生命として流れるということは、宇宙の営みであり、宇宙の法則に則って流れるということであるはずである。例えば、一霊四魂三元八力、陰陽、十字、天地の呼吸などである。
故に、呼吸力には、気流・剛・柔(三元)、動、静、解、疑、強、弱、合、分(八力)、遠心力と求心力(陰陽)などが入り、流れており、そして阿吽・イクムスビ(呼吸)などが働いていることになる。

このような呼吸力の要素がない力は腕力といわれるただの力であり、合気道が求めている力ではない。この力で合気道の技をつかっても技は効かないだけでなく、体を壊すことになる。何としても呼吸力を身に着け、技につかっていかなければならない。

呼吸力を養成する稽古法が呼吸鍛錬法、呼吸力養成法であり、通常、「呼吸法」といわれる稽古法である。呼吸法には、「坐り技(坐技)呼吸法」と「立ち技呼吸法」がある。
「合気道」(P153)にもあるように、まずは第一義の「坐り技(坐技)呼吸法」で呼吸力を身に着けるといいだろう。坐って地に身を直接置いているので、地からの力が腰腹と手先に伝わりやすいので呼吸力が出しやすいからである。立ち技呼吸法では立った分だけ力が分散しがちなので、初心者には坐技呼吸法がいいはずである。坐技呼吸法で呼吸力がついてくると立ち技での片手取り呼吸法でも呼吸力の養成ができるようになるものである。そして更に、他の形の稽古でも呼吸力の養成の稽古ができるようになるものだ。
尚、「坐り技(坐技)呼吸力養成法」の最も一般的な「両手取り正面呼吸法」の養成法が「合気道」(P153)に懇切丁寧に解説されている。

問題なのは呼吸力の感覚である。呼吸力が出せなければその感じはつかめないしわからないわけだから、受けでそれを盗むほかないだろう。そうすれば、呼吸力によって、その手や体にくっついてしまい、己の力がもっていかれてしまい、体も浮かされてしまうことがわかるはずである。

かって先輩の受けを大分取ったが、強い先輩には呼吸力があったのだと今思える。当時は、先輩だから強いのが当然で、そこに呼吸力があるなど考えなかった。
先輩の腕を引っ張ると、こちらが逆に引っ張り込まれたり、先輩の手にひっついて離れなくなったり、しっかり先輩の腕を握りつぶそうとするが、力が抜けてしまったり、そして挙句の果てに吹っ飛ばされたのは、呼吸力であったわけである。