【第564回】  法則違反

合気道を稽古している人の中に、結構多くの人たちが体を壊したり、体を痛めている。若い人たちにはあまり見られないようだが、年を取ってくると多くなっているようだ。ということは、今若い人も年を取ってくると体を痛めるようになる危険性があるということにもなるということである。

稽古をしなくとも、年を取ってくると体が痛いとか動きづらくなってくるようだから、稽古をしていても、体を壊したり、痛めるのは年のせいであると言えるかもしれないが、そうではないと思う。

稽古をしないで、例えば、膝が痛いとか、腰が重いのは、体を動かさないことによって、関節や筋肉が固まってしまったことなどにより、その固まっているところを動かしたり、使うから痛くなるのだと思う。
稽古をしていれば、体の関節や筋肉を使うわけから、運動しない人のように関節や筋肉が固まってしまうことはない。
稽古をやっていても体を壊したり痛めたりするのは、年のせいとは関係がない理由によるものと考える。

技を錬磨して精進していく合気道の教えでは、「技は、すべて宇宙の法則に合していなければならないが、宇宙の法則に合していない技は、すべて身を滅ぼすのである」とする。
宇宙の法則というのは、時代や人に関係なく、万人に通用する法則ということである。この宇宙の法則に則らない、法則違反をすると体を壊すという戒めである。

合気道の稽古人に多いのが、肩が痛い、膝が痛い、腰が痛いの三痛である。肩が痛くなって腕が上がらなくなったり、膝が痛くなり体が沈まなくなったり正座ができなくなったり、そして腰を動かすと痛くて使えなくなるのである。

これらの痛みの原因は、宇宙の法則違反からきているといっていいだろう。
ここでの法則は、「十字の法則」である。縦―横―縦―横・・・と規則的に十字になる法則であり、体もこの十字の法則に則ってつかわなければならないのである。
肩が痛くなるのは、手腕を十字につかわないことに起因する。手腕を振り上げる場合、手をまず縦(上)に振り上げる。手先が頭上にきたところで手腕はそれ以上は上がらないはずであるが、更に上げれば手を縦から縦につかうことになるので肩に引っかかってしまうのである。ここで無理に手腕を動かしたり、更に上に上げようとすると肩に負担がかかり、そして段々と肩を痛め、手腕が動かせなくなるのである。特に、相対稽古で相手の力が加わった手を上げる場合は、肩への負担は相当なものになる。

手先が頭上にきて手が肩で止まったら、今度は肩甲骨を横に拡げるのである。手を縦から横の十字につかうのである。
横にするためには、息を入れて胸を拡げるといい。胸を閉じていると肩甲骨は横に開かない。

そして横に拡げたら、頭上の真上にある手先を更に上に上げるのである。肩の引っかかりがなくなるので、最初に上げた手先より十数センチは高くなる。手は縦、横、そして縦の十字、十字になるわけである。

また、膝が痛くなるのも、下半身を十字につかっていないことにも因るようである。膝を痛めている人の動きを見ていると、両足を揃えての屈伸の際、足首と膝が鋭角となり、膝がつま先の前に出てしまっている。
屈指では、足首の角度は直角の十字を保ち、腰をすとんと落とせば膝の角度も直角の十字となり、膝に負担が掛からず、膝が痛くならない。
勿論、膝を痛める主な原因は、これまで書いてきたように、体の裏をつかって技をつかっているからである。これも法則であるが、ここでは省く。

腰の痛みも、腰を十字につかわないことに起因する。腰を前の足先の方向と十字、十字になるようにつかわなければ、腰を痛めることになる。何故かと云えば、十字にしなければ、腰をひねったり、ねじることになり、腰に負担を掛けるからである。

このほかに宇宙の法則は沢山あるはずであるから、その法則を見つけ、その法則に従って技をつかっていかなければならない。
法則を見つけるのは容易ではないかも知れないが、法則の見つけ方のひとつに、体の痛みの訴えがある。体のどこかが痛くなったとしたら、それは法則違反をしているという体からの訴えであるから、その痛みの原因がどこからきているのか、そしてどうすればいいのかを、体と対話しながら研究すればいい。