【第563回】  剣や杖を持たない無手の剣・杖の稽古

合気道は形稽古を通して精進していく。この形稽古の修業は如何に高段になっても続けられなければならないはずである。合気道の精進は形稽古なくしてはないと考えるからである。
習い事では形(かたち)が大事である。合気道の形稽古でも形が大事であり、稽古を積むに従って形ができてくるから、形の完成を目指して形稽古を限りなく続けているわけである。

形とは、立ち姿や構えの態勢、技を掛けるにあたっての体のすべての部位の動きの軌跡、それも3次元の動きの軌跡、そして技を収めた姿勢や残心の姿等と言えるだろう。

さて、「合気道の動きは剣の理合であるともいわれているほど、その動きは剣理に則している」とか、「合気道の技の半分は刀剣を使用しての技であることを知っておくべきである」(合気道技法 P.252)と言われる。
これには2つの重要な意味がある。
一つは、剣の理合いを身に着けて、合気道の技に取り入れることである。剣を振り込み、剣捌きを覚え、剣をつかうように手足や体をつかって技をかけるようにしなければならないということである。
二つ目は、合気道の技の動きで剣を持てば、その動きが剣の理合いの動きになるということである。

従って、まず、剣を振り込み、剣捌きを覚え、剣をつかう稽古をしなければならない。木刀の素振りを手に豆ができて、それがつぶれ更に豆が出来てつぶすぐらい振り込まなければならない。また、立ち木を叩いたり、古タイヤを叩く稽古もいい。
剣捌きや剣をつかう稽古には、木刀で打ち合う稽古をすることである。このとき大事な事はたたき合うためではなく、合気の理合いで打ち合わせることである。

剣がある程度振れるようになると、次に剣を持たない、無手の剣の稽古に移ることである。つまり、無手で剣を持ったと同じように動くのである。
まずは無手の剣がつかえるまで剣を振り込まなければならない。
剣を十分振り込めば、剣の理合いの形ができているはずだから、剣があっても無くともその形がつくれるのである。

開祖は剣を持たなくとも、無手や扇子などで剣や杖の動きをされておられたのがこれであり、神楽舞にも通じていたと思う。
剣を持たずに無手の剣をつかうように、杖も同じである。杖を持たない無手の杖の稽古も出来るようにしなければならない。

この無手の剣・杖の形ができてくると合気道の技をつかう際に大きな働きをしてくれるようになる。合気道の理合いと剣の理合いが一体となり、より進化した技の形ができるのである。

例えば剣・杖を無手で上手くつかうためには、まず、足と手が左右陰陽で規則的に、そして同じ側の手足が一緒に動かなければならないことが自覚できるし、そのように動く法則を明確に自覚し、法則に則った動きの技をつかわなければならないとことがわかる。また、手先と腰腹を結び、腰腹を中心に動かなければならない事、手は螺旋につかわなければならない事、息に合わせて手は十字につかう事、三角で入り、三角の態勢を足らなければならない事、形の大事な事等々が分かるはずである。
剣・杖の理合いに則した、合気道の理合いが、無手によってよりわかるし、身に着くという事である。