【第563回】  丸に十 槍と剣

かって我々が道場で稽古をしていると、よく大先生が突然お見えになり、お話をしてくださったり、演武をされたり、合気道のご説明をされた。我々若い稽古人たちは、お話はさっぱり分からなく、早くお話が終わらないかと心で念じながら、早く稽古がしたくてじりじりしていた。全く不謹慎な稽古人であったと、今では心から反省するとともに、もっと真剣にお話をお聞きしておけばよかったと後悔している。

しかし、不思議なことに、真剣に聞いていなかった大先生のお話が、今でも耳に残っているのである。『武産合気』や『合気神髄』を読んでいると、その頃の大先生のお声とシンクロするのである。

その内の一つに、「合気道は魂の学びであります。ちょうど丸に十を書いて三角が四つ寄っております。これは魂が剣と槍とになっています。つまり松の教えであり、裏表のない教えであります。」(一部削除)というのがある。
大先生は、そう言われると、杖や扇子を手にされて、右足を軸にして、くるっとまわられ、天を突かれて舞っておられた。

この「丸に十 槍と剣」の課題、禅的に云えば公案を50年来考えてきたことになるわけだが、半世紀たって、少しずつその公案は解けてきているようである。

丸に十については以前書いた。縦と横の十字で○(円)ができるのである。合気道の技は円の動きのめぐり合わせであるから、体や息を縦・横の十字につかって円の動きをつくらなければならないわけである。
しかし、この円は平面的な、二次元の円である。合気道の円は螺旋の円でなければならない。技が効くためには螺旋でなければならないはずである。
例えば、手を螺旋でつかうためには、手を横(肩を支点の内旋、外旋)に回すだけでなく、同時に縦(指先の方向)に回さなければならない。

晩年の有川先生は、たまに手刀で切り下す動作をされた。足元から体の中心を通る縦軸を手の動きで示され、そしてそれに対して十字(直角)に剣を打ち下ろさなければならないと示されていた。縦の天地の軸に対して、横の直角に切り落さなければ切れないと云われていたはずである。言葉でご説明頂ければ、もっと理解できたはずだが、動作だけなので、自分なりに解釈するほかないのである。

剣を振っていて段々わかってきたのが、「十字に丸 剣と槍」の関係である
まず、「十字に丸」である、以前の十字に円のまるではないことである。この丸は平面ではなく立体の三次元のまるである。そしてこの丸は剣と槍によってつくられるということであるし、剣と槍でしかつくられないということでもある。勿論、この丸は、大先生が先に言われている、魂の剣と槍であり、魂の丸である。

具体的にどうすれば丸ができるのかを書いてみる。
半身に構え、剣を息を吐きながら前に出す。そこから息を入れながら振り上げ、剣先が天を指したとき(縦)、胸を更に開き、肩を左右の横に開く(横)。そして更に、剣を天に向けて上げる(縦)。
この天をつらぬく縦の状態が、槍である。大先生は、「武産の「武」のそもそもは「雄たけび」であり、五体の響きの槍の穂を阿吽の力をもって宇宙に発挑したものである。」といわれているわけだから、この槍は「五体の響きの槍の穂」ということになる。

剣を振り上げる際は、正面での縦の気(難しければ気持ちでもいい)、肩を開く際は横に気が拡がる。そして後ろへの縦の気、左りへの横の気が出ていき、己の腹を中心に丸く気が発兆し、己を丸く包み込むのである。

ここで前述の大先生のお言葉の中の「裏表のない教え」に注意しなければならないだろう。物事、万有万物は表と裏がある。人間の体にも、また心にも裏と表がある。
しかし、この己から発兆し、己を包み込む丸い気には裏も表もないということである。つまり、裏も表もないような丸い気を、「丸に十 槍と剣」でつくれるように修業しなければならないという教えであると考える。