【第56回】 過去に学ぶ

人文科学でも自然科学でも、本格的に学問する場合は、関連分野の歴史を学び、原理を追求し、応用をはかるものである。例えば、経済学では、経済の歴史、経済原理、経済政策などとなる。物事を極めた人、優れた仕事をする人は、その関連の歴史に詳しい。

合気道の稽古を本格的にやりたいなら、学問と同じように、現在だけに満足しないで、未来の目標を進みながら、過去に遡った合気道の研究をもしなければならない。合気道は、武産合気、合気道、合気柔術と遡ることができるし、それ以前の大東流柔術、その他の柔術、剣術などや古事記の世界にあるような宇宙万世一系のポチにまで遡ることもできる。古事記の世界まで行かなくとも、柔術の時代の技や術理を研究しても、なかなか奥が深いものだ。

柔術は相手からのあらゆる攻撃に対処し、制するようにできている。合気道は、柔術の時代を通ってきているので、柔術時代の、相手を制する技の要素も有しているはずである。それ故、先輩ともなる柔術についても勉強しなければ、深い合気道は分からない。もちろん、合気道の稽古場では、柔術の技を使ってはいけないが、合気道の技の中には、いつでもいかなる取り(攻撃)にも対処でき、いかなる瞬間も"相手を殺せる"し、"相手に殺されない"という厳しさを常に包含していなければならないのではないだろうか。

先人たちは、人が考えうるあらゆる攻防の技を研究していた。これをまた新たに創造するのは、時代も時代であるので最早不可能であろう。先人たちの残された思想、技を勉強して、自分のなかにとり入れていく方が遥かに容易である。

また、自分のやっている技ややり方、考え方が正しいのかどうか、このまま進んで行っていいのかどうか等、迷うこともあるが、その判断は、自分のやっている合気道が過去の先人たちに繋がっているかどうかによっても、判断できるであろう。例えば、自分のやっている合気道の技が、柔術の技に即転換できるようならば、その合気道の技、やり方は過去(柔術)に繋がっていることになる。もし、それが出来なければ過去との繋がりはないことになるので、やり方や方向性が間違っていると言えるかもしれない。

稽古は、過去を踏まえ、過去と繋がったものであり、技は過去の歴史とその思想が包含されたものでなければならないだろう。先人の残してくれた技や思想など、過去に学ぼう。