【第555回】  天地の気、内分をつかう

合気道は争わない武道である。試合はないし、勝負もない。しかし、技を練り合っていると、残念ながら相手とぶつかり、相手に頑張られたりして、小さな争いは頻繁に起こっている。小さいとは云え、争いは争いであるから、真の合気道になるために、この技の稽古中の争いも解消しなければならない。

合気道の技は宇宙の営みを形にしたものであるから、正しい、つまり宇宙法則に則った技づかいをすれば、争いにならないはずである。従って、争いを解消していくためには、その法則に則った技づかい、体づかいをすればいいことになる。

合気道の演武会や道場での稽古を見ていると、多くの場合、受けと取りがぶつかり合っている。とりわけお互いが接する最初の瞬間である。手刀で打たせたり、手を取らせる際にぶつかっているのである。横方向でのぶつかりである。お互いが横方向に動き、それでぶつかるのである。更に横で技を掛けようとするから、またぶつかるのである。
おまけに息を吐いて接するので、息でもお互いがぶつかることになる。

それではぶつからないためにはどうすればいいのかといことになる。
ひとつは、宇宙の営みと一体となって体をつかい、動くようにするのである。
まず、天地と己を一体化するのである。気を天に挙げ、天と結び、地に気を下ろし、地と結び、そして天と地を貫く一軸の天之御中主神になるのである。気と息が天地に縦に働く。これに従って相手の気も上下に動くので、今度は相手が打ってきた手や掴んできた己の手を横につかって制すればいい。
つまり十字である。伊邪那岐・伊邪那美の話にもあるように、先ずは縦から動かさなければならないのである。宇宙の法則である。己が宇宙と一体となり動くのだから、相手が逆らう気持ちはなくなるはずである。

次に、はじめに体(魄)で技をつかわない事である。霊(心と気)で己の体と相手の体を導くのである。
この霊は相手の霊も導く。相手の霊は、相手の体も導き、頑張るな、倒れなさい等と導くのである。だから、ぶつかりや争うはなくなるわけである。

開祖は、霊と体を内分、外分といわれ、その役割と重要性を次のようにいわれている。
「人の内分は霊、即ち天との連絡機関であり、外分(体)はこの世との連絡機関です。しかし外(分)は内分によってものつくりしていかなければなりません。内分のタカアマハラを現わさなければなりません。しかるに人々は内分の連絡を忘れて、外の横の自然界のみの連絡を固くしてしまったのです。」(武産合気 P.87)

これは一般社会の世の中のことをいわれているのだが、合気道の事も云われているはずなので、学ばなければならない。
それは、内分(霊)と天とを結ばなければならない。内分で外分(体)をつくり、つかっていかなければならない。
内分をつかわずに無視すれば、外分(体・魄)と外分との横の関係になってしまい、ぶつかり合い、世の中が乱れ、そして技も乱れてしまう、ということである。