【第553回】 ある100歳精神科医の生き方

朝日新聞の図書紹介広告の欄で、興味のある本の紹介記事を見つけた。普段は、広告と思われるものは目に留まらないのだが、目に留まったのだから、ただものではないはずである。
紹介された本は、この11月2日に100歳を迎えるという精神科医で、現在は医療法人社団秦和会理事長をされている高橋幸枝さんが書かれたもので、『こころの匙加減』(飛鳥新社)である。
彼女が半世紀にわたり患者と向き合って経験し、そして得た、人の生き方のヒントをまとめてあるという。

この本は読んではいないが、各章のタイトルと思われるものが紹介されており、それで内容がある程度想像できる。
次の18タイトルが紹介されている。
◎「あらゆる不幸は人と比べることから始まる」◎「みんな、最初の一歩が怖いだけ」◎「執着しすぎると本当に必要なものを身失う」◎「美しいものは苦しみを紛らわしてくれる」◎「誰かと話すだけで心は温かくなる」◎「さみしくなったら、緑を育ててごらんなさい」◎「寡黙より多弁のほうが10倍好かれる」◎「断ることも立派な愛情表現」◎「病は口からやってくる」◎「室温の匙加減は命にかかわる」◎洋服選びがうまければ、寿命も延びる」◎「ちょっと不便なくらいが体にちょうどいい」◎「1ミリでも誰かのお役に立っているか」◎「いい歳をして、見返りなんて求めなさんな」◎「言葉にしないと、やさしさは伝わらない」◎「突然の電話は別れの挨拶かも?」

みんな面白いがあるが、18のタイトルの内、特に、次の2つが合気道を稽古している高齢者のためにも面白いと思うので紹介し、コメントしてみたいと思う。

◎「あらゆる不幸は人と比べることから始まる」
これは合気道でも非常に大事なことである。合気道は人と比べるのではなく、自分と比べることである。ここでの人とは他人ということである。つまり、昨日の自分と今日の自分、今日の自分と1年後の自分を比べて、精進することが大事なのである。これが合気道の稽古の基本であり、スポーツと根本的に違うところである。合気道での、自分との戦いを絶対的な戦い、スポーツでの他人との戦いを相対的な戦いといっていいだろう。絶対的な戦いには、これでいいという終わりはない。真の自分がもっとやれと挑戦してくるからである。他人と比べて上手いとか下手とかいっている余裕などないはずである。

◎「いい歳をして、見返りなんて求めなさんな」
まず、「いい歳」とはどのような歳なのかを考えてみなければならないだろう。
この場合、見返りを求めなくなるような歳であるから、定年後の60歳、65歳以上であろう。つまり、高齢者、後期高齢者である。
確かに、高齢者、後期高齢者が見返りを求めて何かをやっているのは見苦しい。勿論、定年後も働いてお金を稼ぐという、見返りを求めざる得ない方々も沢山おられるわけだが、そのような見返りは自然であり、見苦しくなどない。

「いい歳」のもう一つの意味は、分別がなければならない歳、知るべきことを知らなければならない歳ということである。
自分は何者なのか。どこから来てどこへいくのか等に、ある程度目鼻をつけたはずの歳である。
合気道を修業して「いい歳」になれば、宇宙のことがわかってくるし、自分自身のこともわかってくる。そして、宇宙の意志がわかるようになり、その意志に則って生き、また、そのために稽古をしなければならないことがわかってくる。
宇宙から肉体(体)と精神(心)が与えられ、使命をもって、地上と宇宙完成のための生成化育にかかわっていることも知るはずである。
つまり、各自はその生成化育の使命をもっているわけだから、自分自身を変えていくだけではなく、先人の意志や遺産を引き継ぐとともに、引き継いだものを後進に継承しなければならないのである。そのためには、後進を育てなければならない。
しかし、その見返りは人に求めるのではない。宇宙が返してくれるはずである。開祖も見返りを人には決して求められなかった。神様が下さるから、人からもらう必要はないといわれるのである。

100歳でも、まだ社会に貢献されている方の云われることは、興味があるだけではなく、上記のように合気道の世界でも通用するものであり、大変勉強になる。
ますます長生きされて、われわれ後進にいろいろ教えて頂きたいものである。