【第546回】  見えないものを形にする

合気道の稽古は魄の稽古ではなく、魂の稽古であると教えられている。魄の稽古も大事であるが、そこに留まらず、魂の稽古をしなければならないのである。
先ずは、魄の稽古で体をつくり、合気の形をしっかりと身に着けていくのである。そして、それを土台にして、魂の稽古に入っていくのである。

魄の稽古は、体や形の見えるモノを身に着けていく稽古と云えるだろう。とすると、魂の稽古は、見えないモノを身に着けていく稽古と云うことになる。

魂の最初の稽古は、息(呼吸)と心の稽古になるのだろう。
更に、開祖のお話や、開祖のお話を記した『武産合気』『合気神髄』などから、見えないモノで身に着けなければならない事は沢山あることが分かる。
例えば、天地の気、天地の呼吸、天之御中主の神、伊邪那岐神、伊邪那美の神、一霊四魂三元八力等々際限なくある。
魂の稽古では、これらの見えないモノを身に着ける稽古をしなければならないと考える。

見えないモノを身に着けるとは、まず、その見えないモノの存在を信じること、そしてそれを見つけること、そして、それを技の形でつかうことができるようにすることであると考える。
例えば、宇宙も宇宙の創造した万有万物は、縦と横の十字で生成され、十字から円、螺旋となって機能しているので、合気も十字の形で技をつかわなければならないことになる。実際、手や体を十字につかうと、相手の体だけでなく心も導くことができるが、十字につかわないで技を掛けると、相手の体も心も導くことが出来ず、魄の力で倒すほかなくなってしまう。

合気道の形稽古で技を掛け合っていると、上手くいく時もあれば、いかない時もあるし、完璧と云うことはない。
必ず上手くいかない事がある。自分の動きが乱れたり、受けの相手に頑張られてしまったりするのである。

技が上手く効かないのは、大体は、法則違反をしているからであると云える。我々が錬磨している合気道の技は、宇宙の営みに則った、宇宙の法則性を持っているのである。宇宙の法則性というのは、いつでもどこでも通用する法則をもっているということである。手足が10本もある火星人がいて、その火星人に、この宇宙の法則に則った合気道の技が効くかどうかは知らないが、少なくとも、地球上の何処の国や地域の人、これから100年後の人にも効くはずである。

宇宙の法則を基に、己の掛けた技を見れば間違いがわかるもはずである。
例えば、陰陽の法則で技を掛けなければ、必ず相手とぶつかってしまい、相手は思うように倒れないはずである。その典型的なものが、入身投げと一教裏の足づかいの法則違反である。

しかし、この法則違反の足づかいを正すのは容易ではないようだ。最大の問題は、魄の稽古、見えるモノを追う稽古、相手を倒そうという争いの稽古から抜け出せないためである。

この法則違反の稽古から抜け出すためには、魂の稽古、見えないモノを見て、身に着ける稽古をしなければならない。
まずは、見えない宇宙の法則を見つけなければならない。それを合気道の相対での技の錬磨で見つけなければならないのである。自分の息、心、動きなどなどに
集中して稽古をしなければならない。相手をどうこうしようなどといっている暇などないのである。相手は、己が掛けた技が良かったのか、悪かったのか、どのように良かった(悪かったか)を投影してくれるパートナーであり、悪かったことを教えてくれる先生なのである。つまり、見えないモノを形に見せてくれるのである。稽古が終わった後、お礼のために頭を下げるのは当然だろう。

見えないモノを技の形にしていかなければならないのである。