【第545回】  形は体の節々をときほぐすための準備

合気道は、相対で受けと取りを交互に取り合っての形稽古をして精進する。
誰でも、はじめはこの合気道の形(かた)を身に着けることが稽古の目的であり、それが合気道だと思うものである。私自身もそうだったので、よくわかる。
数年、稽古を続ければ、合気道の形など誰でも覚えてしまし、またその間、体力や腕力もついてくる。そして初心者や己よりも弱い相手や仲間を投げたり、抑えたりすることができるようになるので、自分は合気道を会得したと勘違いしてしまうのである。

開祖は、形稽古は合気道を会得するための準備であると、「合気道の技の形は体の節々をときほぐすための準備です」(「武産合気」P.37)と云われている。
形稽古は合気道の初歩で、形を覚え、体をつくり、関節のカスを取るなどの、合気道の土台づくりということなのである。

勿論、形稽古は大事である。開祖は、「合気の稽古はその主なものは、気形の稽古と鍛錬法である」と云われるのである。
合気道の目的は、宇宙との一体化等と云われているが、その目的達成のためには、形稽古を続け、形稽古から会得していかなければならないからである。
形稽古を止めてしまえば、合気道の目標には到達できないということである。

形稽古には、目的達成のための準備の稽古と、それを土台にした目的達成のための稽古があるということである。
まずは、形稽古によって、体の節々をときほぐし、カスを取らなければならない。
そして次に、体の節々がときほぐれ、カスが取れてきたら、次の段階の進まなければならないことになる。

合気道は「道」である。合気の道である。「道」は、自分と目標を結んだものであるから、目標に向かって進むことができる。次の段階というのは、準備のために進んで来た道から、次の新たな道に乗り替えて稽古をすることになる。
例えば、これまでは体を主に鍛えてきたわけであるが、今度は、その体に心を合わせていくのである。心の稽古である。
開祖は、「声と肉体と心の統一が出来てはじめて技が成り立つのである。霊体統一ができて偉大な力を、なおさら練り、固め、磨き上げていくのが、(今度の)合気の稽古である」と云われているのである。

また、呼吸の稽古をして、呼吸の微妙な変化を感得しなければならないと、「この呼吸の微妙な変化を感得することによって、各自に合気道の業が生じるのである」(「合気神髄」P.86)とあり、錬磨する技が宇宙の法則・営みに則った業になるためには、己の呼吸の稽古をしなければならないということである。

更に、「呼吸の凝結が、心身にみなぎると、己が意識せずとも、自然に呼吸が宇宙に同化し、丸く宇宙に拡がっていくのが感じられる。その次には一度拡がった呼吸が再び自己に集まってくるのを感じる。このような呼吸ができるようになると、精神の実在が己の周囲と終結して、列座するように覚える。これすなわち、合気妙応の初歩の導きである」(「合気神髄」P.87)とある。
己の呼吸だけでなく、宇宙との呼吸の稽古をしなければならないのである。
しかも、この宇宙との呼吸ができたとしても、これはまだまだ合気道においての初歩であるということなのである。まだまだ、先があるわけである。

これから先、どれだけやるべき稽古があるのか、道を乗り換えて進まなければならないのか、これでいいという終わりの稽古があるのか分からないので不安でもある。
しかし、開祖は、やまびこの道がわかれば、合気は卒業であるといわれていたはずである。最終段階の稽古はあるようである。何とか、それを見つけ、そこまで稽古を続けて行きたいものである。」