【第544回】  「大きなる兵法」と「大の稽古」

宮本武蔵の『五輪書』に「大きなる兵法」について書いてある。「ちいさき兵法」に対する言葉である。「ちいさき兵法」は、一人ないし数人の敵に対する撃剣術であり、「大きなる兵法」は多人数の合戦のための兵法である。
つまり、武蔵の兵法は一人の敵を倒すだけではなく、大勢の敵と戦ういくさにもつかえるということである。それを武蔵は、「わが一流の兵法に、一人も万人もおなじ事にして」と云っている。

宮本武蔵を、小説や映画などでしか知らないわけだが、佐々木小次郎とは一対一の戦いであったし、吉岡一門との戦いは、数十人との小さな合戦であったわけで、「ちいさき兵法」だけではなく、「大きなる兵法」もつかえたことになる。
勿論、まず、「ちいさき兵法」を磨き上げることから始め、段々と「大きなる兵法」を取り入れていったはずである。

合気道は、受けと取りとの相対稽古で、通常は一人を相手に稽古をしている。受けの相手に、如何にいい技を掛けるかと苦心するわけである。所謂、前述の「ちいさき兵法」の稽古と云うことになる。これを「小の稽古」とする。

合気道は、宮本武蔵が修業した撃剣術のような、相手をやっつけたり、勝負に勝つために稽古するのではない。
しかし、合気道の稽古も、「小の稽古」だけでなく、「大の稽古」(「大きなる兵法」)をしなければならない。それは、開祖の書かれた『合気神髄』など読めばわかる。

合気道の「大の稽古」には、二つあるだろう。
一つは、相対で一人相手に稽古をして、技を掛け合っていても、常に、二人目、三人目の敵が、スキを狙っており、スキがあれば攻撃を加えてくると思って稽古をすることである。受けの相手を投げたり抑える場合も、いつどこから次の敵が掛かってきても、対処できるような、気づかいと態勢をとって稽古をしなければならないことである。
また、混雑した道場で稽古をする場合は、自分たちの前後左右の稽古人たちの動きも察知しながら、怪我をしたりさせたりしないように稽古をしなければならない。
これは、小さな「大の稽古」である。

二つ目は、世のための稽古である。武蔵のように敵としてではなく、世のために稽古をするのである。
世のためとは、合気道の後進、人類、万有万物、つまり、合気道で云う、宇宙のためということになろう。宇宙生成化育のお手伝いの為に稽古をするのである。先の兵法の言葉を使えば、「禊ぎの兵法」ということになるだろう。これが合気道における、真の「大の稽古」である。

この「大の稽古」である「禊ぎの兵法」のためには、まずは「小の稽古」で己自身を禊がなければならない。武蔵の「ちいさき兵法」である、これをまずは、一生懸命にやらなければならないだろう。そして、一人相手の稽古も、宇宙のための稽古も同じになるようにしていけばいいだろう。大小表裏一体の稽古である。