【第544回】 掴ませた箇所を鍛える

合気道は心体(魂魄)を鍛え続けていく武道であり、それを際限なくできる武道であるし、限りなく追及すべきであると考える。
ここでは「体をつくる」がテーマなので、体の際限ない稽古に的をしぼる。

合気道における「体をつくるための」際限なき稽古とは、時間的なものと、鍛える体の無限性である。
時間的な際限なき稽古とは、時間的、年齢的に、これで終わりということはなく、稽古を続けるかぎり、体づくりをしなければならないということである。若い時は若いなりに、年を取ってくれば、若い時にはできなかったことや、やらなかったこと、それに年を取らなければできないことをやることである。
これは誰でもやっているか、やろうとしていることなので説明の必要はないだろう。

さて、鍛える体の無限性ということであるが、どういうことかというと、鍛えるべき体の部位は無限にあるということである。五体、関節、筋肉、内臓、血管などであるが、これらは更に多くのものでできているわけであるから、その各々を鍛えなければならないわけで、無限と考えていいだろう。

合気道は、この無限の体を鍛える最良の稽古法であると考える。この稽古法には、無意識で体をつくっているものと、意識しなければつくれない稽古法があると思う。
まず、合気道の稽古をしていれば、無意識で体ができていくものである。稽古を続けるに従って、筋肉ができるし、骨格や関節はしっかりしてくる。血液の流れもよくなり、血管もきれいになる。肺や心臓も丈夫になる。

稽古を続ければ、体はこのようにできてくるので、稽古を続けさえすればいいと思っているものだが、更に体をつくるためには、意識して稽古する必要が生じてくる。例えば、肩取りをやっても思うように技にならないものである。つまり無意識で稽古をしているだけでは、肩の機能がうまく働かないのである。

合気道は、技を掛ける取りと受けを取る受けが技を掛け合い、受けを取り合って、技を練り合っていくが、合気道の稽古での攻撃法(取り)は多彩である。手を掴んだり、打ったり、突いたりする他に、取りの体の部位を取る(掴む)ものがある。例えば、肩取り、胸取り、袖取り等である。しかし、掴む(取る)箇所は、この三か所だけではなく、そこから1mm上、下、左、右、斜め上とmm単位、いやそれより微小な単位で無限にある。これが無限の体である。
つまり、肩取りとか胸取りなどと名前がついてはいるが、その近辺を掴むということで、掴む箇所は変わってくる。だから、正確な名前の付けようがないのである。言ってみれば、体のすべての部位を掴む可能性があるということである。

体を掴むということは、その掴ませた箇所を手のようにつかい、技を掛けると云う事のはずである。肩取りとは、手のかわりに、肩で技をつかい、肩を練ることであると考える。胸取りは、胸を手としてつかい、練るのである。
従って、合気道の稽古では、己の体を無限に鍛えることができるはずである。
これは合気道の素晴らしい稽古法であり、他に類を見ない。

次回は、「肩を鍛える肩取り」をテーマに、具体的な肩のつかい方を書いてみることにする。