【第543回】 心(霊)と体は理によって造り上げられる

合気道は技を鍛錬しながら精進していく武道であり、少しでもいい技を身に着けるべく稽古をしていくのである。
技を練り、己の技を精進していくためには、様々なことをやらなければならない。様々な事とは、やるべき事を順序よくあることである。やるべき事をやらなかったり、その順序を間違えれば、技は身に着かないはずである。

技の精進、上達のためにやるべき事の基本として、以前書いたように、まず合気の体をつくること、そしてその体を合気の理でつかうことと考えている。
合気の体をつくるために、合気の技(一教、四方投げなど)を稽古するわけである。手先や足の末端と腰腹が結んだ体、体の各部位が自在に動き、しかもそれが繋がって一つになる体、腰腹が充実した体、肩が貫けた体、柔軟で強靭な体、柔軟な内臓(肺、心臓など)、必要な筋肉がついた体等々である。

そしてこの体を合気の理、例えば、陰陽や十字につかっていけば、いい技がつかえるようになるということである。

体は理でつかわなければならないということであるが、実は体も「理によって造り上げられなければならない」のである。
開祖は、「霊(心)と体は理によって造り上げられる」(合気神髄 P.56)といわれているのである。つまり、上記の体をつくるため、また、理想の合気の体を造るためには、理によらなければならないというのである。ただ、がむしゃらに稽古をしたり、筋トレをしても合気の体はできないということである。

それでは、体を造り上げる「理」とは何かということになるが、開祖は、まず、理とは「宇宙の理」であり、世の初めに神習うことである、と云われている。
何もなかったところにポチあらわれ、そこから万有万物が生成化育する「世の初め」が宇宙の理であり、それを体造りに取り入れなければならないといわれているのである。人もはじめは(母親の胎内に)何も無かったところに、ポチが現れてそれが生成化育して、体ができていくのと同じである。

例えば、宇宙は、「厳・瑞が完全に調和し、宇宙の理に従って存在及び活動する」という理があるから、縦と横の調和のとれた体造りとつかい方をしなければならない。
更に、「宇宙は「ス」の凝結です」という理があるから、体も宇宙の「ス」でできており、宇宙の「ス」と結ばなければならないことになる。
そして、「宇宙は一霊四魂三元八力の生ける姿」といわれるから、体も「一霊四魂三元八力の生ける姿」の理に従って造り上げていかなければならないことになる。

体を造り上げるために、まず、「宇宙の理」で体を造っていくわけだが、開祖は次に、「天地日月の理」、「水火の活力神妙の理」で造っていかなければならないと云われる。宇宙より身近な地球とその周辺空間の理ということになるだろう。
「天地日月の理」とは、天地の気、天地の息に相和す体を造ることであり、「水火の活力神妙の理」とは、吐く息(水)と引く息(火)との十字の息が働く体を造ることと考える。
開祖は、このように体を造っていくと、「言霊の姿もあらわれてくる」、そしてそのひびく(言霊)によって、天地と相和す体になるとも云われているのである。

体は理によって造り上げられなければならないことを再認識して稽古をしていかなければならないだろう。理に反した体づくりをすれば、合気の体が造られないどころか、体を壊すと開祖は警告されているのである。

尚、タイトルで「心(霊)と体は理によって造り上げられる」とあるように、体は理によって造り上げられなければならないと書いてきたが、心も体と同様に、「宇宙の理」、「天地日月の理」、「水火の活力神妙の理」で造り上げられなければならないわけである。
しかし、形稽古で技を練り合う稽古をしてわかるように、先ずは体の稽古がある程度できないと、心の稽古に入れないものである。まずは、体を造ること考える。