【第543回】  生結び

合気道は相対での形稽古で技を練り合って精進していくが、技は中々思うようにつかえないものである。
技を上手くつかうには、何よりも最初が肝心である。それは相手と接した瞬間である。その瞬間に相手とくっついてしまい、相手と一体化することである。一体化するから、技を思うようにつかうことが出来るのである。
この接した瞬間、相手とくっつくことが「生結び」と考える。

接した瞬間にくっつくためには、イクムスビの息づかいで、イーと息を吐いて己の手を相手に掴ませたり、打たせたりする。くっつくためには、出した手を押したり、引いたりしないことである。開祖が言われる「天の浮橋に立つ」ことである。相手はこちらの力を感じない。違和感を感じないので、一体となれる。もし、相手が抵抗してくると、こちらの手は腰腹や天地と結んでいるので、相手は自ら態勢を崩してしまうことになるわけである。

この生結びで一体化した結びは、イーで接したら、クーで息を入れながら技を掛けるが、相手との接点を切らずに繋げていく。ムーで息を吐いて、受けの相手を投げたり抑えるまで、相手と結んでいる。
この最初のイーと息を吐いて接するところから、ムーと息を吐くところまでが、二人が一体となる生結びであると考える。

相手に接してからの結びが「生結び」で、相手と接する以前、間合いがあって、直接接する以前に相手と結ぶのが「気結び」であると考える。
われわれ凡人は、せいぜい相手に手を掴ませたり、打たせたりして、直接接してはじめて結ぶことができるわけだが、開祖などの名人や達人などは、気結びによって、相手と一体化してしまうのである。
われわれも生結びができたならば、「気結びに」挑戦できるようになるだろうと考えている。

ところで、「生結び」には、イクムスビという同音異字がある。イクムスビは息づかいである。イーと吐いて、クーと吸い、ムーで吐く息づかいである。
この二つが同音「いくむすび」であるからには、何か共通のものがあるはずである。

「生結び」は結びである。相手や対象物に接して結び、一体化することである。
イクムスビのイーも、息を吐いて相手の手などと結んでしまい、クーと息を吸いながら、その接点に力(気)を集め、その結びを切らず、ムーでその結びを解く。つまり、「生結び」とイクムスビは同じ結びの働きをしていることになる。

もうひとつ、「生結び」「イクムスビ」と同音異字がある。「生産霊」である。
「生産霊」は、足産霊、玉留霊と共に三元(気流、柔、剛)という働きをする。「生産霊」は△○□の内の△で、気・流の働きをする。