【第540回】  力をつけ続ける

合気道は武道であるから、やはり力はあればあるほどいいし、これでいいということはない。合気道では力は要らないなど言われているようだが、そのような言葉に惑わされず、力をつけていかなければならない。

合気道では魂を魄の表にし、前にして魂が魄を導かなければならないのであるが、だからと云って魄(力)が要らないとか、駄目だとか云っているわけではない。魂と魄が表裏一体となって仕事をしなければならないし、技も魂が主体になるが、魄(力)を伴って掛けなければならないのである。

つまり、魄の力が強ければ、それ以上に魂が強くならなければならないことになるから、魄の力が強ければ強いほど魂が強くなり、魂魄表裏一体になって大きな仕事ができるようになるわけである。従って、魄の力を養成し続ける必要があるのである。


合気道の力とは、呼吸力である。遠心力と求心力を兼ね備え、引力を伴う力である。腕力や体力などの力と違うことに注意しなければならない。
呼吸力がつてくると、受けの相手をひっつけ、遠心力と求心力が一緒になった力で相手を大きくも、小さくも、また、緩急自在に導くことができるようになる。だから、技をつかうにあたっても力(呼吸力)は大事なのである。

合気道の基本の形稽古で呼吸力はついていくし、つけていかなければならないが、呼吸力をつけるに最適な稽古法は「呼吸法」である。その内でも、片手取り、諸手取り、坐技呼吸法がいいだろう。

しかし、呼吸法もはじめの内は、形を覚え、足捌きや手づかいを覚え、そして息づかいを覚えるという、基本の稽古をするわけであるが、この段階では形をなぞっているだけなので、呼吸力はつきにくい。また、受けの相手にちょっと強く掴まれて苦労しているようでも、腕力はつくが呼吸力はつかない。
呼吸力をつけていくには、体全体の力と心(精神)を全開して、力一杯の稽古をしなければならない。そのためには、体が無意識のうちに合気の理合いで動いていなければならず、頭で考えたり、迷っているようでは、体も心も全開して働いてくれない。

呼吸法を力一杯やるというのは、容易ではない。力一杯やれば、大体は、相手が掴んでくれている手を離してしまう。だから、その手が切れないように、相手をくっつくたままでやろうと、力や速度をセーブするわけである。

相手が持っている手を離すことなく、力を一杯出して稽古をしていくためには、次のような条件を満たさなければならない。その条件とは、合気道の理合いであり、法則である。
従って、この法則を基本の呼吸法や形稽古で身につけていなければならないのである。それができていなければ、次の本格的な呼吸法の稽古に入れないし、真の呼吸力はつかないことになる。

慣れてくれば、相手の手や体に指一本触れているだけで、相手を導くことができるようになる。

ここからが真の呼吸法の稽古になる。力一杯やっても、相手の手は離れないから、どんどん力を入れていけばいいわけである。この入れていく力は己の生命力ということになる。つまり「気」ということにもなるのだろう。

ということは、己の生命力の次には、宇宙の生命力を入れていけばいいことになるはずである。更に大きな力の呼吸力が付いてくるはずである。 力にこれでいいということはないわけである。