開祖の晩年の5年ほど本部道場で稽古をさせていただいた。毎日、数時間の稽古をしていたので、稽古が終わった後の自由時間とか、また、稽古時間に道場に突然入られて来られての大先生のお話をよく伺った。
当時は、大先生のお話は難解でわからなかっただけでなく、合気道の稽古とどんな関係があるのか、そしてそのお話が如何に合気道にとって大切な事であったのかなど全然わからなかった。正座をしてお話を聞いてはいるが、分からないし、足は痺れてくるし、稽古がしたいしと、早くお話が終わらないものかと、いつも心で念じていたものだ。全く不謹慎極まりなかったと、今では反省しているし、もっと真剣にお聞きしておけばよかったと悔やんでいる。
しかし、大先生のお話を真剣に聞いていなかったはずであるが、いつまでも耳に残っているのである。特に、『武産合気』『合気神髄』を読んでいると、かってお聞きした大先生の言葉の響きと重なるのである。
その中で、大先生が言われて、その意味も分からなかったのだが、耳に残っていたもので、これまで不思議に思っていた言葉がある。
これまで何とか、その意味を無意識のうちに知ろうとしていたらしく、最近、ある文章に出会って、このようなことでではないかと、自分なりに解釈することができた。
それは、「『我はすなわち宇宙』なのである」という大先生の言葉である。大先生は、そのためには、「宇宙の真象を腹中に胎蔵してしまうことが大切」「天の運化を腹中に胎蔵して宇宙と同化」と言われていたのである。
これでは、どういうことなのかさっぱり分からなかったか、この出会いで、このような意味だろうと思った。
それは文化勲章ももらった有名な数学者である岡潔(写真)の言葉であった。岡潔は、
「われわれはふだん、自然のほかに心があると思っている。その心はどこにあるかというと、肉体のどこかにあるらしい。脳の中かもしれない。
しかし、その脳も肉体である。その肉体は自然の一部だから、それなら心は自然の中にあるということにもなる。私も50歳くらいにはやっとそのように考えられるようになっていた。
ところがあるとき、その逆を考えた。心は自然の中にあるのではなくて、自然が心の中にあると思ってもいいのではないか。その後、私はこの考えをいろいろ確かめ、そう考えるほうが正しいのではないかと思い始めた。」(「春宵十話」)
つまり、岡潔がいう、「自然が心の中にある」ということが、大先生がいわれる「宇宙の真象を腹中に胎蔵、天の運化を腹中に胎蔵」であり、「我はすなわち宇宙」ということになると考える。
このことから、他の大事な事を学んだ。偉人は進む道は違っても、同じ頂点を目指しているということであり、大先生が目指され、言われていたことは、他の分野でも、大先生のレベル域にある人も求めているといことである。従って、大先生の言葉で、どうしても分からない場合は、他の分野の方が助けてくれるかもしれないと思うのである。合気道を学ぶには、合気道だけでなく、合気道の壁を破って進まなければならないということである。
参考・引用文献 「松岡正剛の千夜千冊」 (編集工学研究所)
岡潔 「春宵十話 0947夜」 (毎日新聞社 1963)